カンダタの極度のあがり症の体験談 ニート、フリーター、プターロー時代 何をやってもあがり症が治らない・・・
ニート・フリーター・プータロー\(To T;)
フリーターになったが、短期のバイトだけやっていた。このころは、年も若いし、その間に絶対SADから良くなろう! と思っていた。
だからといって、どこでどう良くなるかは全くわからなかった。いつか、治っている、と言う慰みだけが、僕を支えていた。
また別の話し方教室に通った。以前通ったところと全く変わらなかった。
でも、何かしていないといけないから、義務として通っていた。何もあがり症対策をしていないと気が変になりそうだったから。
話し方に弱点がある人がたくさん来ていた。多いんだな、と改めて思ったけど、僕がよくならないことには何にも意味がなかった。
良くなっている人もいなかった。潜在意識が原因だな、と改めて痛感した。
だから、どこかに通わざるを得ないから、とりあえず、カウンセリングルームにまた通った。
京都より大阪のほうが、いいところがあるだろうとおもって、通った。
大きなところにかよったら、目当てのカウンセラーではなく失望した。でも無駄に通い続けた。
まったく良くならなかったけれど、必死で耐え続けてきた極度のあがり症とSADの悩みをはき出せたのはよかった。
そうじゃないと気が狂いそうだったから、うつ状態もひどくなっていった。
一応世間体を気にして、就職しようと思った。
一人では働ける職場で、コミュニケーションがいらない職場だった。仕事雑誌をとことん調べた。
コンピューター関連がいいと思った。パソコンとにらめっこしていればいいから。
夜間警備も考えたけど、夜間労働は、僕の自律神経が狂ってもっと鬱になってしまうかも、と恐怖になり、候補からはずした。
社会人時代へ