カンダタの極度のあがり症の体験談 再びニート、フリーター時代 あがり症に治る方法なんて・・・
ニート・フリーター・プータロー(「o 「)
催眠療法(ヒプノセラピー)にまだ未練があった。大阪のところは所詮あんなところだと思い、京都で最後に通ってダメならあきらめようとした。
森田療法は入院が嫌だった。精神科はもう問題外だった。前世療法もしっくりこない。軽蔑すらしていた。
働いていなかったから、お金がなかった。親から借りなければならないけど、高かった。ヒプノセラピー(催眠療法)にいくと言えば、許さないだろう。
心の悩みで苦しんでいるなら、薬を飲め、と絶対言ったと思う。精神科・カウンセリングルームの知識しかないだろう。
でも、結局いえなかった。お金はバイトで貯めたお金と親からくすねたお金で払った(今はもう親にバンバン仕送りをしているのでチャラです)。
そこはまだ、前二つよりはましだった。軽い催眠状態に入れた。
振り子を自分の意志(無意識?)でうごかせたし、体も重くなったり、暖かくなったりした。
おなかもほんわり温かみを持つようにできた。これが入り口かな、と思って、今後上達することに期待が持てた。
でも、ずーっと通っても、そのままだった。ずーっと! これはCDでもつくりこめるようになったし、もう通う必要もなくなった。必要がなくなったということは、僕がいよいよ追いつめられたと言うことだった。
先は真っ暗で、一生SADの弱点を抱えて生きなければならない、と言うことだった。
無期懲役を宣告されたようなものだった。
自殺までのカウントダウンが始まった。
マイナスの言葉が連鎖しておそってくる強迫観念に悩まされるようになり、部屋から出ることすら憂鬱になった。
親は、僕のことをせっついた。それができたら、どんなにいいか、ばりばりに働いてやるのに!
それがどうしてもっできない!!
ジレンマに陥り、よけいマイナス思考になった。落ち込みつづけた。
うつ状態に陥っていたと思う。(自分には鬱病という意識はなくて、極度のあがり症・SAD・吃音という症状としてとらえていた)。
この状態に光が差すのはまだまだ先だったなぁ・・・・
ここまで、読んでいただき、お疲れ様でした。思ったより長くなってしまいました。
もっと簡単に書こうと思ったけど、自分のことだから、こうなってしまいました。
それでも、細かいことを書けば、とんでもなく長くなりますから、ここがちょうどいいところだと思う
次は、希望が出てくるページです。とても親切なSAD克服者との出会い、そして紹介を受けたDream Art Laboratoryの岩波英知先生に出会い、奇跡的に極度のあがり症やSADが治るまで
◎カンダタの希望の記録へどうぞ(蜘蛛の糸が僕の目の前に垂らされたッ)
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