蜘蛛の糸をのぼれば あがり症が治らない人へ治った人からエールと克服体験談を送るブログ

幣ブログ管理人のカンダタです。 【蜘蛛の糸をのぼれば】にようこそ! 極度のあがり症がどうしても治らない人の数は予想を遥かに超えていた! しかしこの弱点を克服できないと大変なことになっていきます! 僕がどんだけ大変な思いをしてきたか! だからこのブログに体験談や克服方法を書いていきます!

カンダタの極度のあがり症の体験談 高校生時代 何をやってもあがり症が治らないッ!!!

高校生(。 。 極度のあがり症、SADになったけれど、何やっても治らない!

心機一転、高校はうまくやろうと決心した。だから、がちがちに緊張をよけいした。女子生徒に笑われるマネはしないようにしようと決心もした。
でも、失敗した。しどろもどろ。

また教室の前に立って、みんなの前で研究を発表するという催しがあった。その出番が来ることが苦痛でしょうがなかった。
その日は休んだ。

でも、学校に出た日、一人だけで発表させられた。みんな聞いてやろう、という姿勢でいた。ニヤニヤしている奴らもいた。僕は泣いてしまった。半泣きといった方がいいかも。

何もしゃべれなかった。担当の先生が気を利かせて、授業終わったら先生だけに聞かせてくれ、といった。惨めで惨めで自殺しようと思った。その時なにか別のショックがあったら、飛び降りていたかもしれない。

それからいじめにあうこともあった。

みな悪口やからかいの対象に僕を担ぎ上げようと画策しているかのように思えた。毎日毎日が憂鬱で苦しかった。

SADに完全に仕上がっていた。それに極度のあがり症になっていた。まともに話すことすらかなわない状態で、この弱点を抱えたまま、生きていけないとおもった。真っ暗闇だったなぁ。

この先治らなければ自殺するしかなかった(だから今SADや極度のあがり症を克服できていなかったら自殺していたかもしれない)

 

どうにか自分の症状を変えたいと思って、身近な京都の心理カウンセリングルームに行った。あがり症はよくある症状といってくれて、とてもホッとした。いまでも、その暖かさは忘れない。

でも、寂しくもあった。なんら良くなることにつながらなかったからだ。どんどん通うのもおっくうになってきた。
日課をこなすだけだったし、高校生の僕が、こんなところに通っているなんてとても恥ずかしい気がした。

同年代の奴らは、通う必要がないのに。

もし、カウンセリングルームから出てきたところを、知り合いに見つかったらどうしようと怯えてもいた。ばからしい! 
そこは知り合いの奴らが絶対通らない道なのに! 
こんなふうに僕はいつでもどこでも怯えて生きていた

でもカウンセリングルームから出たとき、人が前から歩いてくると、この人、悩んでいる人だな、と見られているかと思うと、いやだった。

とにかく話すことのテクニックを身につければ、すべて解決するかも、有利にことを運べるという淡い期待を抱いて、話し方教室に通った。

このころはSADや極度のあがり症を治すことにまだまだ期待があった。夢があった。

話し方教室に通えばあがり症ともおさらばだ、と思っていた。
でも、習ったことも、すべてが、発表という場の恐怖心にすっかり飛んでしまった。
このおそってくる恐怖心にのまれるだけだった。

緊張するのは誰でも当たり前と言われても、自分は次元の違うあがり症なんだと思い知った。
話し方教室の先生も自分を扱いかねているようだった。惨めな気持ちがした。

積極的な弁論術を身につけようと通っている人もいて、蔑視されているなと感じた。

勝手に僕のSADの症状がそう思わせたのかもしれないけれど・・・・。だから足が遠のいた。


相変わらずクラスでは苦しい思いをしていた。不登校をしたかった。でも、不登校を一度でもしたらもう戻れないという予感があって、無理してでも通っていた。
ドロップアウトは、人生からのドロップアウトだとすら、僕は思いこんでいた。
中学で書いたことが、日常的に僕の身に起きていた。早く高校が終われと思っていた。
逃げ出したかった、時間が早く過ぎて、とにかく助かりたかった

 

大学時代以降

 

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