なぜ治らない!? 極度のあがり症の治し方と教訓 治そうと通った施設とその時期
カンダタが極度のあがり症・話し方のトラブル・SADを治そうと通ったところとその時期
1~8はどんなに頑張っても治らない 9にして一気に希望が見えて克服
- 心理カウンセリングルーム(京都)・・・・高校生
- 話し方教室(大阪)・・・・高校生
- 精神科(京都)・・・・大学生
- ヒプノセラピー(催眠療法)(京都)・・・・大学生
- 話し方教室(大阪)・・・・ぷー
- 心理カウンセリングルーム(大阪)・・・・ぷぅー
- ヒプノセラピー(催眠療法)(大阪)・・・・社会人
- ヒプノセラピー(催眠療法)(京都)・・・・プー
- Dream Art【岩波英知先生の神経症・あがり症・話し方弱点克服プログラム】(大阪・東京)・・・・プーたろー→社会人(事務)→営業→営業統括
ヌヌぬぅ・・・・結果が出るまでたくさんのことをやったなぁ・・・・我ながらあきれてしまう
この間に使ったお金はどれくらいだろう。親にもかなり援助してもらったなぁ
やっと9番目のところですべてが良くなったし、社会復帰ができた
営業職に回って更に自信を積み重ね、営業統括へ
人間は変われるものです
ますます頑張るぞ!
これまで苦労してきた分をここから取り戻してやる!
苦労した末の教訓(極度のあがり症克服のために必要なこと)
- 話し方の技術を教わっても、その器がなくちゃダメ←本を読んでも実践をして失敗をして自信をつけていく。器とはリスクを恐れない心、怖さを認め、怖さに立ち向かうこと
- たくさん同じ悩みの人がいるとわかってもSADの症状は治らない←悩んでいるのは自分であって他人ではなく、自分は人と違って地獄から抜け出すことができるという気持ちが大切
- 抗不安薬をもらっても、根本から良くならない←薬は量が増え、強くなるのが定番。対症療法は症状からの逃げの姿勢で、一番安易な道だけに頼るのは危険
- 抗不安薬を飲んでも、症状解決を長引かせるだけ←根本からあがり症の源を解消しないと、薬を手放せなくなって、依存してしまう
- 抗不安薬を飲んで楽になっても、トラウマは解消しないから悩み続ける←理由があるからあがってしまう。人はあがらないのに自分だけあがるのはどうして? トラウマが悪さをしてくるからです
- 催眠状態に入れない体質だ←催眠状態に入れないと言うことは、考えてしまうということ。あがり症と同じ構造。だからあがる人は催眠には向いていないかも
- 自律訓練法をやっても、体が重くならない。手が温かくならない←自律神経を鍛えようとしても、意識しすぎてしまうとうまくいかなくなる。あがり症を治そうとしても意識してしまうと、もっとあがってしまう自分に苦しんでしまう
- そりが合わないカウンセラーのところに通っても意味がない←人の心が変わるというのは信頼以上の信頼を持っていないと心に響かないし、感動もないのだ
- あがらないためのシミュレーションをしても、その場の強迫観念と恐怖に結局は襲われる←いくら頑張ってもかってに心があがってしまう構造。もともとあがってしまうんだからしょうがない。あがらない思考になればあがらなくなる。あがってしまうときは何を考えても気張っても駄目。余計裏目に出てしまった。理由があるんだからあがるのはしょうがない。でも根本的な解決法はある。
- ものすごい高い能力、結果を出してくれた先生が実際にいる←僕も頑張ったが、頑張れたのはやっぱり先生のおかげだ。一人で悩み続けると(あと信頼できるセラピストがいないと)メンタルの悩みは出口が見えなくなってしまう。有能な専門家に任せるべき。自力や無能な専門家だとよけい症状をこじらせます
- 表面だけ対処しても、おそってくる強迫観念と恐怖には必ず負ける←本を読んでも変わらないのと同じ。表面は要は頭の中でこねくり回すことで、根本から治っていくということは、あがる必然性が自分からなくなるということ。
- 良く思われようとしてはダメ←あらゆる人間の悩みの原点かもしれないな~。悪く思われたかったら、あがっても別にいいんだし(でもできないのが人情だ)。少なくともよく思われたいということは、周りの動向に敏感になり、同時に自分の行動一つ一つにも意識が向くわけだから、緊張しない方がおかしい。それが会話そのものにいくとまともに滑舌場回らなくなるのも当然だよね。
- うまくいかなくもて当たり前だと思う←結局僕(たち)は、うまくやろうとしてうまくいった試しがなかった。大失敗ばかり。失敗するのが当たり前な状態なのに、なんで100%うまくいかせようとしてしまったのだろう? うまくいかないのが当たり前なんだから、別に頑張る必要もないし、がちがちになることもないのにさ
- うまくやろうとしたら、うまくいかない←もうこれは鉄則。無心こそうまくいくのはどこの世界の達人でもいわれること。でも無心になる必要もない。それってもう特殊な状況だから。日常で結果的にうまくいくのは、「うまくいかなくなっていいや」という考え。これはリスクを恐れない人間になるということにも通じるんだな。
- 気にしないように意識すると、必ず意識する←もう神経症の罠に絡みとられていたら、意識しないぞ! と思っても意識する。そのこと自体が意識の世界だからね。なら意識しようが意識しまいと、失敗しようと関係ない。そんなことで命を失いわけじゃないし。(でも死にたいと思うくらいに恥ずかしいものなのはわかるんだけどね)
- ストレスや感情の抑圧はどこかで発散する←溜め続けると精神病になってしまいます。発散をうまくやれば、必要以上に悩まなくてすむ。反社会的な行為をするんじゃないよ。もっと別の発散法があります
- 自信をつかみたいなら、まず傷つくことから←うまくやろうとしても駄目。一番手っ取り早い一人でできる脱出法は、わざと傷つく行動を起こすこと。自ら起こす。失敗する。恥をかく。そういうことに自ら立ち向かっていく。でも怖いし続かないと思ったら、それへの耐性をつけるためにやっぱり信頼できる先生が応援してくれるといいわけなんだけど。すごい恐怖が、別に耐えられるじゃないかとなるし、そうなっていたら自然とあがる場面もなくなるんだけどね
- 傷つくことをおそれたら、一生傷つきまくる←結局恥をかいてしまう場面が向こうからやってくる(ひきこもっていても)。
- 気にする必要性がなくなることができる←あがったり気に病んでしまうのは、小さいときからの原因が降り積もってできている
- 怯える要素をカットできる←それは覚悟と信念と向上心とトラウマ解消と無意識からの動機付けでできた
- 人前だろうとどこだろうと、普通に、自信を持って話すことができるようになる←みんなもそうなれる。おそれていたら何も始まらないです!
- 人に恐怖を感じなくなることができる←自身が持ったらそうなるよね。逆に相手がこちらに気を遣っているのが手に取るようにわかって、さらに人に強くなれる。
- 過去のトラウマを気にしなくなることができる←受け入れること。消そうとしても事実としてあるから、排除しようとしては駄目だめ。
- SADだろうと極度のあがり症だろうと絶対に克服することができる←これはそういえます。頑張ろう!!
- いまあなたが悩んでいるのは、天才的な先生に出会っていないから←かなりの確立でそうです。凡人は凡人、天才は天才。雲泥の差があります。自力でSADや極度のあがり症を克服しようとしても裏目に生きます。有能なプロの専門家に相談をすべきです。裏目に行ってしまった時間はもう取り戻せません。人生は限られています。
- 極度のあがり症で不可能だと思えることでも、可能なんだとわかった←これができたとき、ものすごい自信に
- 不安や失敗、おそれていたことはおそれじゃないんだとわかった←自信と経験とリンク
- 傷つきたくない心は、傷つくためにある←傷つき恥をかき、人生を呪うのは、そういう心があるから
- きついのに、そこから変わりたくない心があるのは、甘えだ←変化が嫌いな人がいるよね、安定を好む人も。でも安定できていない今に安寧とする地はないよ
- ここまで悩んだら、もう変わるしかない、いや、変われた←そのとおりでした
- 自信なんてものはあとからいくらでもついてくる←逆に言えば、行動なくしては(逃げてばっかりでは)自信は一生つかないものです
- 不安は不安じゃない←不安はみんなあるから、排除しようとしたら駄目。攻めの姿勢。
- チャンスは転がっている。しっかり見ればちゃんと見れる。そして逃さない←惰性の毎日を送らないために
- 親はSADや極度のあがり症の症状そのものはわからない。でも強くなりたい子供の気持ちは後押ししてくれる←親に理解してもらおうとしても多くの確立で失敗します
- なんにもしていないと自信は絶対つかない。夢物語←行動がいずれにしても必要なときがきます
- 自信の積み重ねは、行動からしかない←そのとおりでした
- 会話はストレートを打つものじゃない。ただのジャブだけでいい←ジャブって、要は挨拶です。あと何気ない心遣い。ストレートは欲望丸出し、うまくやってやろうという意識。あとうまくやろうと全力で取り組むこと。心って適度に力を抜いた方がいいと思いました。
- 会話は挨拶だけできれば、それでいい。それだけ言えればそれでいい←まずは相手と心が通える場面作り。そのあとで本題に入っていけばいい。いきなり全開だと変に思われるだけ(僕の経験です)
- やたら話しまくる人は、寂しさの裏返し。喋っていないと不安だから←うらやましいなって思っていませんか? 僕も思ってた。でも一人でいられない弱さがあるから群れたり、ぺちゃくちゃ喋る。みんな寂しいものなんだなと今は感じてます。だから周りを見て、自分の弱点をいっそう惨めに思うよりも、みんな同じだと思った方がいいです。口べたは悪ではないです。個性です。必要以上に自信喪失になるのはもったいない。それに神経症にまでなった「口べた」は必ず巻き返せるものでしたので。
まだまだ、僕が得た教訓みたいなものはあるんですが、あくまで僕が自分で感じ取ったものなので、
強制ではないので、参考にできない方はしなくていいですよ。自分の心がはっきり、これだっ!と
思った時じゃないと、ただの外国語みたいなものなのだ
極度のあがり症が治ったッ 最終話
10.社会復帰と自信
通っている途中に、僕は社会復帰した。プータローだった自分に自信が出てきたし、やれるという確信もあった。モチベーションも高まっていた。
最初は長続きしなかったけど、定着してきたからだ。不安は最初はそりゃああった。ない方がおかしいのだ。
悩んでいる真っ最中の人は、不安がゼロになるだろうと思っている。そうじゃない。不安があっても突き進めるようになるのだ。
とにかく本格的に社会に入った。
最初は緊張もしたし不安もあった。でも自己暗示を入れて、逃げも隠れもしないでずけずけやってみた。
そこで、まともに働けることのすばらしさをはじめて味わった。ものすごい心の栄養になった!
最初の不安もただの取り越し苦労。不安は自分の心で作りだしているものがほとんどだ。
弱点を背負っていない人が当たり前にやっていることを、僕は当たり前にできるようになった。
そして、いままで当たり前にできなかった分、もっと人より頑張ろうという気力が湧いてきた。
これって、一つ考え方を変えると、みんなが当たり前にやってきたことを今やっとできただけじゃん! と考えてしまって落ち込むところだが、前向きな気持ちでいられた。暗示の力かな。
親も喜んでくれた。僕も、子供の時のような、無邪気な何者にもとらわれない心というものを思い出しはじめた。
その途中、自意識という壁に僕は押しつぶされた。そればっかり強化していた。
極度のあがり症で昔きつかった場面、自己紹介、初対面の人、会食、休み時間、飲み会、発表、のちには営業でも、攻めの姿勢で貫くことができた。
一つ一つこなしていくたびに大きな自信になった。
これを読んでいる人は、考えて極度のあがり症を治そうとしているのかもしれない。でも考えていたら予期不安を増大させてしまうだけです。
やっぱり、攻めの姿勢で強気にズカズカとやっていってはじめて劇的にあがり症克服できる。
話し方の技術でも岩波先生の教え通り、上手に話す意識を捨てた。
もっと根幹に占める感情の伝達、大きな声での挨拶、はきはきした態度、言葉がつっかえてもいいから伝える心を常に持つこと、そして考えないで話すこと、心のベクトルを内向きに出はなく外向きに持つこと、暗示を入れて強くいること、時にはルーツ分析をして焦りの気持を無くしたり、いろいろなことで今ではコンプレックスもなくなったし、吃音もなくなっていった。
11.武器としてのコミュニケーション術(会話の格闘術)
もうこれからはプラスの連鎖で生きていける。確かな自信がある。
岩波先生の下で、コミュニケーション術(会話の格闘術とも言う)を学んだ。これは、ただの会話ではなくて、武器となるコミュニケーション術だ。
世渡りの達人しか持ち得ないものだし、それがあるから、世渡りの達人になれるノウハウだった。
これによって、僕の弱点だったものは、武器にもなった。
普通に暮らしていた人が、決して身につけることができないもので、とても大きな自信になった。
SADもどこかに消えていた。うつ状態はとっくに卒業できた。
生き様から自分を変えていくことの重要性。生き様こそ会話なんだと。コミュニケーションであり、オーラになるんだとわかった。
人と人との差はどこでできるかというと、生き様、つまり魂の部分だけなんだ。それを常に自分に言い聞かせて生きるようにした。だからますますコンディションがあがった。
引き籠もって、寝ているだけじゃ、絶対問題は解決しない。自分への信頼感は自分で創りあげるしかないし、そのために会話術という武器を利用すればいい。
上達もしていったし、 完全に良くなったんだ、としみじみ実感を味わっていた。
過去の惨状を思い浮かべ、現状のうれしさに涙が出ることもしばしばだった。 新鮮な感動だった。
生きることは感動することなんだという岩波先生の言葉を思い出した。確かにその通りだった。生きていて良かったと思えた実感だった。
岩波英知の言葉・講演集参考になるサイト、読むといいことが書いてあります。
あがり症克服プログラムはこちら(良くなった人の体験談もあり)
12.極度のあがり症で潰されていた僕の垂らされた蜘蛛の糸をのぼって──
芥川龍之介の名短編『蜘蛛の糸』を思い出した。
お釈迦様が、地獄のカンダタを助けるために、蜘蛛の糸を垂らしてチャンスをくれた。
カンダタは結局は身勝手すぎるエゴイスティックな行為ではい上がれなかった。
でも、世の中には蜘蛛の糸は所々に存在している。
それが見えないだけだ。
僕の蜘蛛の糸は、岩波英知先生という方だった。もっと、いえばノブさんも蜘蛛の糸を垂らしてくれた。そして、僕は無事にのぼりきった。
みなさんは真の鬼才に会ったことがありますか?
僕は会った。
蜘蛛の糸はあなたにもぶら下がってます。
細いけれど、絶対切れない蜘蛛の糸を僕も垂らそうと思う。
そして糸を上までのぼりきる力を発揮するのは他でもないあなた自身です。
今までおつきあいありがとうございました。
カンダタの岩波英知先生の評価 岩波英知先生の心理セラピーの効果を語る 僕の治らない極度のあがり症が・・・
8.トランス呼吸法の訓練
僕が経験してわかったことは、ハイパートランス状態という意識が変わる状態が、岩波先生の誘導や指示によって、簡単に作り込めるということだった。まさに鬼才で独自につくりあげた技術体系だった。そして臨床でのデータもばっちりだった。
だから、家で呼吸法(普通の呼吸法じゃない)の訓練をするとき、僕は簡単にそんな世界に自力で入れるようになった。岩波先生の脳への条件付けで、しっかり、僕の脳が覚えているからだろう。その意識をすぐ引っ張り出せたから、どこでも、それを利用することができる。
呼吸法はめちゃ重要だし、ある意味生命の源だろう。
自律訓練法のCDの時とはまったくレベルが違っている。
緊張しないようにしようと思いこむことは、意識の上では、よけい緊張してあがってしまう回路になる。
でも、もっと深い潜在意識の中で、緊張する必要がなくなった時、生きていて一番うれしかった。変わっていく自分がうれしかった。
僕でもここまで気持が向上するんだと。いや、もともとの僕はこちらだったかもしれない。小学校の時もそうだった。
つまり青春期に経験したトラウマが一時的に偽りの僕を作り上げていたのだ。その姿を真実だと自分で思いこんでいた。
極度のあがり症の僕は仮の自分でしかない。
ただし潜在意識にまで入り込んでしまっているから、そこから追い出さなくちゃいけない。
そのための呼吸法の訓練だし、岩波先生の心理プログラムなわけですな。
この仕組みを知らない人は、すごい損をしていると思う。
(この文章を読んでいてもできないです、念のため・・・やっぱり理屈でわかっても・・・・心で感じ取らないといけません。自力は身を滅ぼします)
9.僕なりの岩波英知先生の評価
僕ごときが先生を評価するのは何ですが……岩波英知先生の言うことに何一つ矛盾がなかった。悩みようがない人間だった。
だけど、悩んでいる人の心を誰よりもわかってくれる人だった(かつては悩みを経験してきたそうです)。
鋭い技術とノウハウと洞察力を持ちながら、アットホームな雰囲気で、毎回毎回、通うのが楽しかったッ! 不安や緊張もしたけれど、それは試合に臨むアスリートの気分。
あらゆることについて豊富な知識を持っていた。その根底には魂をもっている人で、だからこそ、知識も知恵も存分に発揮できているのだ。
社会に出た時にとても勉強になった。反射神経も抜群の人だった。ここで言う反射神経は、頭の回転の速さと行動への転換だ。
態度がはっきりしている人だけど、冗談もよく言うし、気を使ってくれるし、逆に気を使ってくれない勘所をちゃんと心得ている。とっても明快な人で、朗らかであり、ときに厳しく為になることも言ってくれた。
まさに岩波先生のように自分のペースでズカズカと生きている人は悩まない。一緒に食事に行っても、初めての人とでも仲良くコミュニケーションをとっている。みんなの人気者にすぐなれる人だ。こんな人がいるんだと感心した。
あそこまでいかなくても、生きた証人がいるんだから絶対僕でもできると信じることができた。
人間の潜在意識はフロイトさんじゃないけれど、とんでもない深い世界を持っている。
潜在意識って、大脳の構造ともいえるかもしれない。潜在意識に限界はなく脳にも限界はないと思う。
誰も経験していないトランス状態の深さ。岩波先生しか味あわせてくれないと思う。
脳と潜在意識にどれだけ無限の可能性があるか、僕は悩んでいなかったらわからなかった。全く常識から外れているから、一生経験しなかっただろう。
一方で、潜在意識や脳は無限の可能性のせいで、逆に悩みが深く浸透してあがり症・神経症になってしまう。もっともっとこれからも研究されていい分野だと思う。
その人間の意志ではどうにも対処しようがない世界で、SADや神経症の人はトラブルに巻き込まれ、苦しみ続けている。
だけど、そこを自由に接触できる僕の先生は、すさまじい人だと思う。鬼才過ぎるっ!
ハイパートランス状態の感動は、「!!!!!!!!!!」というものだ。あの感激、高揚感はたまらない。みんな最初からなるわけじゃないけれど、呼吸法をやっていけば必ず到達できる!
あの極致の意識の変容を作り込めるのも先生一人だ。感激、感涙という心の栄養もそれだけで得られる。抑圧も抜けていく。暗示もかかりやすい。自己暗示も入るようになった。
超リラックス感。ある種のトリップ。宇宙を感じ、自分と対面できる。至福の時。マインドゲームというべき精神世界。そういう世界がある。
瞑想をやり抜いた人でさえ、瞑想の局地を越えている。無限の可能性を秘めている。
嘘だろう、どうせまがいものだ、騙しているんだといぶかしがる奴もいるだろう。でも、ここに書いていることは本当です。あまりに常識から飛んでいるからこそ理解されないかもしれないけど、文章で表現している以上にあり得る世界でした。
その感動こそが、人に伝えたい! という自然な感情につながった。素晴らしいものは素晴らしい、いいものはいいものだと叫びたくなった。
岩波英知先生はとても自信家であり、非常に主体的な人間で、かつ感覚的に生きていて、本能全開人間(笑)なので、そういう人特有のクセはあります。
癖が強い! だからそこは戸惑わないでください!!
10.社会復帰と自信 へ
極度のあがり症が治ったッ あがり症が治らない原因がある潜在意識の最深部に確かに手が届いている!
6.トランス状態(意識の変容状態)体験と暗示 凄いという感想と感激のみ
トランス状態という催眠状態の何十倍も、何百倍も深い意識が変容した状態というものがあるのを知っていますか?
トランスなんてものじゃなく、ハイパートランスと呼びたいぐらい。
上に書いたような疑問や分析も、その状態であると、一気に心に定着できる。暗示が心にしっかり根付いていく。
心からわかる=揺るぎない信念になった。理屈じゃないのだ。
本で読んでも、いくら生き方の教えてもらっても、心に定着できない世界。それが潜在意識から定着できるから、なぜ悩まなくちゃいけないか、よくわかった。理屈ではなくて感覚でわかった。
感覚でわかっているから迷わない。考えず、これしかないと思えてしまう。それは信念であり、魂までしみこんでいた感じ。それが身に付いていった自分を誇りに思えるようになった。つまり自信が出てきた。傷ついても、へっちゃらな気持ちを含めての自信。
「よし、俺はできるし、やってやるぞ!!!」「見てろ、これからどんどん挽回してやる!」「やるのみだ!」こんなモチベーションも湧いた。
モチベーションが高まっている時は気持いい! 無駄に考えることはなくなった。単純明快にものごとや出来事をとらえられるようになった。
極度のあがり症の認知の歪みもなくなっていった。失敗してもいいじゃん、という割り切りもついてきた。むしろ「あがってやるぞ!」というモチベーションというか覚悟がついた。最初は長続きしなかったけれど、次第に定着していった。あとは実際にやることのみだ!
7.極度のあがり症が薄れていき、前向きな考え方に変わっていく
僕が培ってきた人への恐怖心もどんどん癒されていった。
悩んでしまうのは、悩んでしまう行為と性格と思考を持っているから、という当たり前のこともはっきり知覚できた。
僕が悩んでしまい気に病んでしまう、その精神構造もはっきりつかみ取ることができた。正体がわかる敵ほど、対処しやすいものはない。
ぶっちゃけ敵の一挙手一投足が、ぜーんぶわかる。だから、対策も簡単だった。対策をとることすら、次第になくなった。
空気がやわらかく僕を包んでくれた感じ。悩みが晴れていく時、すべてが軽やかで、あたたかい、やわらかい感じだった。
エネルギーも湧いてきた。
不安にさいなまれているときの、なんと自分が頼りないことか。それと完全に逆のベクトルが僕に働いていた。
なにせ「あがったらどうしよう」ではなく「あがってやる」になっているのだから。こういう思考は悩まない。いや、悩めない。
頼もしい、誇らしい、これが自信なのか。うれしかった!
そんなわけだから極度のあがり症だった僕でも、緊張がおさまってきた。
好循環に入ったら、どんどんあがらなくなっていった。SADも改善に向かい始めた。
8.トランス呼吸法の訓練 へ
極度のあがり症が治ったッ やっと念願の超一流のセラピストの元へ
4.あがり症/話し方の弱点克服プログラム通い始める
実際僕は、昔に比べて、信じられないほど強くなっていったし、親も喜んでくれた。
紆余曲折もあったし、克服過程で心理的ジレンマに陥ったこともあった。だが、それらも強くなるための通過儀礼に過ぎなかった。
もし親にわかってもらえずに、お金を貸してくれなかったとしても、(でも、絶対お金を借りてやる、それしかないという人生をかけたお願いだったから、失敗したらどうしようということは考えなかった。不思議!)、働いてお金を貯めようと思った。
とはいっても、この時期、親に借りられたことはとても大きいことだった。もしこの時期を逃していたら、予約からはじかれていたかもしれないから。
または大きく予約開始日が何ヶ月もずれていただろう。どうしても岩波先生のもとで悩みを乗り越えたいと思う人ばかりが予約が空くのを待っているから、タイミングが悪いとずっと待たなくちゃいけなくなってしまう。
思い切った行動が報われた事実は、考えないで飛び込むことの重要性をこの時点で僕に教えてくれた。絶妙のタイミングだった。
5.極度のあがり症・話し方の弱点を得てしまったルーツ分析
ともかく、僕は岩波英知先生のもとに通い始めた。噂通り、まさに天才的な鋭い先生で(会えばわかる)、僕の症状に二人三脚でけりをつけてくれた、一気にことが進んだ。
ルーツ分析の作業をするけれど、その内容はサイトにのっけてあります。実際はもっともっと詳しく書いています。
僕の極度のあがり症の原因、なんであがってしまうのか?
- なんで吉田やサト子に言われたことをあそこまで気に病んで、その後もずっと引っ張ってしまったのか?
- 環境が変わっても、同じことの繰り返しや失敗をしてしまうのか?
- 昔は元気だったのに急に落ち込む理由は?
- SADやノイローゼになるのは当たり前の理由の分析
こうやって僕の心を総合的に分析していった。ちゃんとわかってくると心が楽になってきたし、変に不安に飲まれることはなくなっていった。
今までの損したものを取り戻していくぞ! という前向きな気持ちも芽生えた(トランス状態が深まった時にやると劇的な効果が上がる!)。
感情を発散せず、内にため込んで抑圧としてしまい、無意識の病巣としてしまった原因をたどるといいと思う。
人間は感情の生き物であり、それが抑圧されたら心を病んでしまう。
そこに極度のあがり症や神経症の原因があるのだ。
僕はルーツ分析をしている時に嫌な過去を思い出して気分が落ち込んだこともあったけれど、すぐにルーツ分析作業自体が心の重荷を軽くしてくれるようになった。
過去を思い出せば出すほど、心が洗われたのだ。
先生から言われなくても、どんどん自分でもルーツ分析を進めていった。大体三日に一回は自分の人生を読み返しました。ルーツ分析をしているとき、「こうなって当たり前」と常に認識できることが、変な焦りを取り除いてくれた。
何も焦る必要はない、こんな過去の出来事があったんだから。焦らないって事は心に余裕ができてくるって事でもあった。
6.トランス状態(意識の変容状態)体験と暗示 凄いという感想と感激のみ へ
極度のあがり症が治ったッ 超一流のセラピストがいたけれど現実は・・・
3.あがり症克服プログラムを受けるためにお金の問題に直面して
そのカリスマチックな心理セラピストの連絡先を是非教えてもらいたかった。
ただ料金が高い。予約とりづらい。
もうこれは、親に言うしかないと思った。どういえばいいんだろう? 理解はされないだろう。僕のSADや極度のあがり症の症状を正直に話して、理解されるはずがない。そういう親だっ!
僕の気持ちはノブさんしかわからない。いち早く岩波先生のところに通って、就職して、能力を発揮して働きたかった。
でも、お金は全くない・・・・。出世払いで借りるしかないッ と考えた。親に言えるだろうか? 自問自答しつつ閑雅すぎるのが僕の一番の欠点だと気づき、思い切って親に言ってみた。
どうしても、強くなりたい! と言った。必死だった。でもSADなどの症状は言わなかったと思う。間接的に告げただけだ。
このとき、すごく感情的になっていた、よく覚えていないけれど、僕が強くならないことには、何にも始まらないと親も思っていたのは確かだった。
滅多に出さない僕の感情的な言動も響いたのかもしれない。体面なんて気にしてられなかった(体面を気にしないで行動することの重要性を先生からも教えてもらうことになるが、このときに僕はできていた。だから成功の扉が開いたんだろう)。
人生がかかっている! このままSADでいたら自殺しなくてはならない。だから、感情的になって、涙を流しながらいった僕の熱意を、親は受け入れてくれた。
でも、症状についてはわかってもらえたとは思えない。そういうものだとノブさんのアドバイスもあり、そこは割り切った。
強くなる! 社会で通用できるような人間になる、これは悩み克服の他に、岩波先生に頼めば身につけさせてくれたし、ここまでどん底から引き上げてくれる人は絶対存在しないと思う。
強力な武器を装備させてくれるノウハウをふんだんに持っていた。僕が社会復帰して営業の仕事をするようになった時、一層実感することになる。
心理の専門家は数多くいても、熱意があっても技術が追いつかない人とか、その両方持っている人はいないだろう。
あがり症の克服、話し方の歪んだとらえ方、人間とはこういうものだというアドバイス、こうすれば良いという道筋、自己暗示の重要性、武器となる会話術(会話の格闘術というやつ)の教え、それらを総合的に教えてもらったり、身につけてもらったりして、壁を一つ一つ乗り越えていけた。
つまり僕はノブさんと岩波英知先生のが垂らしてくれた蜘蛛の糸を上っていくことになる。
4.あがり症/話し方の弱点克服プログラム通い始める へ
極度のあがり症が治ったっ 僕の何をやっても治らないあがり症克服に希望が
2.あがり症克服・神経症克服プログラムに通っていた方とのコンタクト
僕の一番の弱点の極度のあがり症・話し方・吃音(どもり)も、良くなるんだろうかと思った。
これが解決したら、こわいものはまずはなくなるッ!
人と積極的に話せるし、仕事もバリバリできそう。自分に自信が持てて、楽しくなるはず。
ノブさんという方がSADなどの神経症体験記のホームページを作っていた(リンクはらせていただきます)。
しっかり読むと、僕と症状がけっこう似ていた。
国語の授業でつるし上げられ笑いものにされたトラウマなど、読んでいて涙が出た。
それに細かいところで、実際に悩んできた人ならではの体験記がちりばめられていて、嬉しくなった。
「嬉しい」といっても、微妙で、嬉しいような嬉しくないような感じだけど。
すごい先生の存在がそこに書かれていた。みんな評価が一致して、カリスマ性、能力が非常に高いというというもので、期待が高まった。
すごい! すごい!の一言。そんなに凄いと思わせるってどんなんだ? 凄いとしか言いようがないと言っている。
後々凄いとしか言いようがない体験(脳覚醒トランス状態のこと)をしたわけだけど、感動感激はきわまると凄いの一言しか出てこなくなるもんだ。
やばすぎるほどのトランス体験! ここまでならないと潜在意識からの解決やモチベーション向上は不可能とすら思える凄まじい体験!
俄然興味が湧いて、ノブさんとメールで話してみた。僕の思ったとおりの人で、良くなった人でとてもうれしかった。
とても話をすることがあって、極度のあがり症のことでたくさん話した。
似ている人がよくなったということは、僕も良くなるという単純な考えで、うれしかった。希望がますます生まれた。
一つだけハッパをかけられた。あくまでも最後の所で己(の内面)と対決して打ち勝たなければいけない。
その覚悟さえあれば最高の方法だと言うことを。この言葉にやる気がマックスに高まった。
ノブさんもそうやって自分との対決でSADに大勝利を上げたのだ。
岩波先生は勝つための武器を授けてくれるとのことだ。ルパン三世の五右衛門の斬鉄剣なみの!
本当に僕のSADや極度のあがり症の気持ちを理解してくれた。細かい苦しみ抜いた心理までノブさんはわかっていた。
似た症状だったから、当然と言えば当然だ。それでいてとても向上心というか自分の中に厳しさを持っている人だった。
つらい過去を経験してきたにもかかわらず、闘志を消していなかった人なのだ。あー、こんな人がいてくれて助かった! と思った。
漠然と僕が探し求めていた人一号だった。
そして第二号は岩波先生だった。
この人は何ら何まで視点が斬新で特別すぎて、めちゃくちゃ面白い人だ。そしてその保有するノウハウの鬼才ぶりといったら。
ま、相性もあるけれど、大多数の人は先生のキャラクターに好感を持つと思う。とっても明朗活発で声が大きくて自分のペースで生きていている。
そして自信家だ。それでいて厳しいところもある。僕にとっては願ってもない心理の専門家だった。
けど、何より大問題が立ちはだかった。世の中には先立つものがないといけないという事実・・・・
岩波先生は飛行機で通ってくる人がたくさんいるほどの人気がある実力者だから、料金も高い。
一括払いだし大変だ。そこが問題だった。
3.あがり症克服プログラムを受けるためにお金の問題に直面して へ
極度のあがり症が治ったっ! カンダタ希望の記録 いつまでも治らないあがり症に希望を
1.天才的な能力の先生と出会うまで……極度のあがり症とSADで人生を諦めていた
希代の天才心理セラピストの先生との出会いが僕の人生を変えてくれた。
毎日やることもなく、インターネットをだらだら見ていた。もう極度のあがり症やSADを治す行動なんぞしてなかった。
本当は自分を強くするために何か行動していなくちゃいけないけど、日々をくさくさして過ごしてただけだった。
人生をあきらめていた気持ちが大ありだった。
疲れた、もうだらけてしまおう・・・。本当にやばいとこまでいっちゃってたなぁ、と当時を振り返ってみて思う。
無気力(どうせ変わりっこないんだ・・・・)に支配された。負け犬の人生・・・・。自分の人生なんてしょせんこんなものさ。
それもすべて極度のあがり症が悪い。
こんな症状になったら誰だってこうなるさ、下手をしたら自殺をしている。
自分を高める行動をしていなかっただけでなく、いつかあがり症を良くしてくれる人がいる、というくだらない期待だけを抱いてた。
何もしないで生きていたけど、頭の中はいつも考えに考えていた。そして精神的にも危機が迫っていた。
何をするにもやる気が伴わず、最悪のダメ人間になりかけていた。あれ以上進行していたら、うつ病になっていたかもしれないな。
「話し方」「社会不安障害」「対人恐怖」「あがり症」「克服方法」「治し方」などと検索してみた。ただなんとなくだった。
この無意識の行動が、次の希望のある行動につながっていくから、人生はわからない!
何かしらのアクションを起こすことはいつだって必要なんだなぁ。
検索に出てきて目にとまったのは、たくさんの話し方教室・各種の心理療法だった。
やっぱり話し方や極度のあがり症でみんな悩んでいろいろなところに通っているんだなー。
そのなかに、DREAM ART LABORATORYの岩波英知先生の心理療法、克服プログラムのことについて書いてあり、すぐ目をひいた。とても興味を持った。
体験記を読んだら、何か違うし力がありそうな感じがした。そこで、他のページも検索してみた。かなり良くなった人が多かった。
実力が次元が違う心理セラピストだという。天才・鬼才・スゴ腕など評価されていた。あとはカリスマ的な要素を持つとか。
美容師や指導者にカリスマ性を持っている人がいるっていうことは、当然、心理セラピーの世界にもいるはずだし、それが僕がずっと待ち望んでいたものだった。
スポーツ選手に天才的なプレーヤーがいれば、その世界にもいるに違いない。偽物ではない本物の心理セラピスト・・・・。
何個も通ってきた人間にとって、信じられる人がいるかもしれない、というのは、大きな喜びと希望だった。
実際に天才的と思える人は実在したのだ!
僕の場合いろいろな催眠療法、ヒプノセラピーを経験してきたから、比較したら天地の差があった。そんな人を発見したのだ。
催眠療法士がプロを名乗っていいのならば、岩波先生は超能力者といっていいくらいの能力差があった。
※岩波先生代表のDREAM ART LABORATORYのオフィシャルサイト
そこにあがり症克服プログラムがあります。
2.あがり症克服・神経症克服プログラムに通っていた方とのコンタクト へ
カンダタの極度のあがり症の体験談 再びニート、フリーター時代 あがり症に治る方法なんて・・・
ニート・フリーター・プータロー(「o 「)
催眠療法(ヒプノセラピー)にまだ未練があった。大阪のところは所詮あんなところだと思い、京都で最後に通ってダメならあきらめようとした。
森田療法は入院が嫌だった。精神科はもう問題外だった。前世療法もしっくりこない。軽蔑すらしていた。
働いていなかったから、お金がなかった。親から借りなければならないけど、高かった。ヒプノセラピー(催眠療法)にいくと言えば、許さないだろう。
心の悩みで苦しんでいるなら、薬を飲め、と絶対言ったと思う。精神科・カウンセリングルームの知識しかないだろう。
でも、結局いえなかった。お金はバイトで貯めたお金と親からくすねたお金で払った(今はもう親にバンバン仕送りをしているのでチャラです)。
そこはまだ、前二つよりはましだった。軽い催眠状態に入れた。
振り子を自分の意志(無意識?)でうごかせたし、体も重くなったり、暖かくなったりした。
おなかもほんわり温かみを持つようにできた。これが入り口かな、と思って、今後上達することに期待が持てた。
でも、ずーっと通っても、そのままだった。ずーっと! これはCDでもつくりこめるようになったし、もう通う必要もなくなった。必要がなくなったということは、僕がいよいよ追いつめられたと言うことだった。
先は真っ暗で、一生SADの弱点を抱えて生きなければならない、と言うことだった。
無期懲役を宣告されたようなものだった。
自殺までのカウントダウンが始まった。
マイナスの言葉が連鎖しておそってくる強迫観念に悩まされるようになり、部屋から出ることすら憂鬱になった。
親は、僕のことをせっついた。それができたら、どんなにいいか、ばりばりに働いてやるのに!
それがどうしてもっできない!!
ジレンマに陥り、よけいマイナス思考になった。落ち込みつづけた。
うつ状態に陥っていたと思う。(自分には鬱病という意識はなくて、極度のあがり症・SAD・吃音という症状としてとらえていた)。
この状態に光が差すのはまだまだ先だったなぁ・・・・
ここまで、読んでいただき、お疲れ様でした。思ったより長くなってしまいました。
もっと簡単に書こうと思ったけど、自分のことだから、こうなってしまいました。
それでも、細かいことを書けば、とんでもなく長くなりますから、ここがちょうどいいところだと思う
次は、希望が出てくるページです。とても親切なSAD克服者との出会い、そして紹介を受けたDream Art Laboratoryの岩波英知先生に出会い、奇跡的に極度のあがり症やSADが治るまで
◎カンダタの希望の記録へどうぞ(蜘蛛の糸が僕の目の前に垂らされたッ)
リンクはこちらから
カンダタの極度のあがり症の体験談 社会人時代 どうしても治らないあがり症のせいで再び・・・・
社会人\(T、 T;)
やっぱり、僕には社会に出ることは無理だと働いて改めて思い知らされた。
高校と大学であったことが、会社の場合、責任から逃れない分、給料をもらっている分、厳しく襲いかかってきた。
低く見られていたのも無惨に感じたし、陰湿な職場だった。早くやめたかった。
でも早くやめると、逃げる気がした。ぎりぎりまで頑張ってやめてやると思った(僕は変な頑張りだけはあったのです)。
周りともうち解けず、特に月曜日は苦痛で苦痛でしょうがなかった。月曜日は自殺者が一番多いと言うけど、僕みたいな人間が死んでいるんだろうな、と人ごとではなくなった。
サザエさんが日曜日夕方にやっていると、憂鬱になった。
明日が来るからだ。大河ドラマが終わるといっそう憂鬱が増した。でも給料は出た。
そのお金でヒプノセラピー(催眠療法)に通った。大阪で有名な、駅でよく見かけるところだった。宣伝をしていると言うことは、有能な人なんだろうと思った。
実際通ったら拍子抜けした。前のヒプノセラピー(催眠療法)よりも全然違うだろうという期待が見事裏切られた! 愕然とした。
ヒプノセラピー(催眠療法)で有名なところでも、このレベルかと思った。いや、ここがこのレベルなら、他もみんな同じだ。
そういうものなんだと思い、怖くなった。
自律訓練法のCDをそこから買い、毎晩聞き続けた。
電車の中でも聞き続けた。でも、なーんにも起こらなかったなぁ。
自律訓練法で極度のあがり症やSADが治るくらいならば、自殺者は激減しているだろう。
会社もきつくなり、ついに耐えられなくなってやめた。
親には就職をまだしていることをごまかすために、朝から家を出て、どこかで時間をつぶしていた(インターネットカフェや図書館など)。
でも、それも苦痛になり、やめたことをいい、またニート・フリーター生活になった。時々短期バイトはした。
引きこもり続けていたら、僕自身が完全に廃人ニートになってしまう恐怖感を持っていたから。
再びニート、フリーター、プータロー時代へ
カンダタの極度のあがり症の体験談 ニート、フリーター、プターロー時代 何をやってもあがり症が治らない・・・
ニート・フリーター・プータロー\(To T;)
フリーターになったが、短期のバイトだけやっていた。このころは、年も若いし、その間に絶対SADから良くなろう! と思っていた。
だからといって、どこでどう良くなるかは全くわからなかった。いつか、治っている、と言う慰みだけが、僕を支えていた。
また別の話し方教室に通った。以前通ったところと全く変わらなかった。
でも、何かしていないといけないから、義務として通っていた。何もあがり症対策をしていないと気が変になりそうだったから。
話し方に弱点がある人がたくさん来ていた。多いんだな、と改めて思ったけど、僕がよくならないことには何にも意味がなかった。
良くなっている人もいなかった。潜在意識が原因だな、と改めて痛感した。
だから、どこかに通わざるを得ないから、とりあえず、カウンセリングルームにまた通った。
京都より大阪のほうが、いいところがあるだろうとおもって、通った。
大きなところにかよったら、目当てのカウンセラーではなく失望した。でも無駄に通い続けた。
まったく良くならなかったけれど、必死で耐え続けてきた極度のあがり症とSADの悩みをはき出せたのはよかった。
そうじゃないと気が狂いそうだったから、うつ状態もひどくなっていった。
一応世間体を気にして、就職しようと思った。
一人では働ける職場で、コミュニケーションがいらない職場だった。仕事雑誌をとことん調べた。
コンピューター関連がいいと思った。パソコンとにらめっこしていればいいから。
夜間警備も考えたけど、夜間労働は、僕の自律神経が狂ってもっと鬱になってしまうかも、と恐怖になり、候補からはずした。
社会人時代へ
カンダタの極度のあがり症の体験談 大学生 あらゆる治療法や治し方を模索 それでも治らない!
大学生(T T;) 精神科、ヒプノセラピー(催眠療法)、本、治らないままSADが悪化していく
どうにか大学に通えた。ずーっと成績が悪かった僕も、受験の時だけは頑張った。
一人で学習するから、人は気にしなくていいのだ。
そのかわり、受験の時、緊張して落ち着かなかった。大学に入ってからも、一番の気がかりは会話、人前での発表につきた。大きな大学で、人数もたくさんいるので、大人数生の授業が多いと聞いていたため、ほっとしていた。
よくさぼれることも、うれしかった。でも、そんなことは世間が許さなかった。
外国語をとらなくちゃいけない。外国語は少人数制だった。しかも毎回発表する。おじけづいた。
そんな形式を受けないように受けないようにしっかりと発表をさせられない授業を選ぼうと思った。
でも、どれがその発表しない形式なのかわからなかったから、運だった。
いっそのこと、講師に、自分が発表が大の苦手だと言うことういって、さされないようにしようかと思った。
また、友達を作ることを極力避けていた。
一緒の授業に出たとき、自分の弱点(極度のあがり症)が暴露することが耐えられなかった。
弱点がない自分という存在で、友達の前でいたかったから。
結局、英語・ドイツ語ともにさされる授業だった。毎日、その授業がある日は憂鬱だった。つっかえつっかえ、周りからおかしいと思われながらも、当てられた日は人前で話したが、終わったら泣きそうだった。
それをどうしても避けるために、精神科に通った。発表形式の授業があるとわかったときに、それまでに良くなろうと思ったから。
京都にある精神科に通ったが、結果は芳しくなかった。医者の事務的な態度に違和感を覚えた。また受付の女も感じが悪かった。
最初に通ったカウンセラーはとてもやさしかったから、そのギャップがよけい落ち込ませた。
抗不安薬を飲んでも、あいかわらずあがり、緊張をし、しかも頭がぼーっとして眠くて眠くてしょうがなかった。
体質があるからと言われたが、眠くなるのはとても嫌だった。
次々と新しい薬、また増やしたりして、様子を見ていたが、まったく変わる気配がないのに、僕は愕然とした。
抗不安薬を飲んでも極度のあがり症やSADに効果がないのは、やばいと思った。
医者が悪い? でも、出す薬は同じだし、こちらの都合(体質とかSADがあまりにひどすぎる)によるものだと考えてしまうと、未来が遠のいた感じがした。
本屋がよいの日々が始まった。大手書店に行き、いい治療法がないか探した。
様々な研究所・療法紹介・症状紹介の本があり、希望が出てきたのをよく覚えている。
これだけ本があるなら、突破口があるはず、と思った。
そこでヒプノセラピー(催眠療法)というものがあることに気づいた。それに期待を持ち、早速、極度のあがり症、吃音どもり克服ということを謳い文句にしているヒプノセラピー(催眠療法)所に通い始めた。
どきどきした。見当が全くつかないし、それだけ期待もあった。そこでヒプノセラピー(催眠療法)の残酷な事実に愕然とした。
僕は催眠に入れない体質だという。
また階段が一つはずされた。
ヒプノセラピー(催眠療法)に通い始めてからそういわれたから、悔しかった。自分の体質にも腹が立った。
実は催眠状態はよっぽど深い状態にならないと意味がないらしい。催眠状態に入れる人も、ほんの少数だという。
もう一つ、ヒプノセラピー(催眠療法)の施術はセラピストの実力が非常に重要だという。だから、腕利きのセラピストを見つければ、催眠に入れない僕でもいつか入れて、極度のあがり症やSADも解消するという期待はあった。
大学後半にはゼミがあった。これが一番おそれていたことだった。
研究の発表、討論会、わきあいあいとゼミの授業が行われる、そう考えると落ち込んだ。
いかに避けて通るか、対策をとりたかった。
でも、ゼミと卒論を突破しなくちゃ、卒業はできない。その前に何かしようと思った。
緊張しない話し方の本を読んだり、自己啓発の本、あがらない対策の本を読んだ。
でも、実際、人前でそれができなかった。僕の無意識がそうすることを妨げた。
圧倒的なあがってしまうという強迫観念が、どんなに本を読んで対策をとっても、襲いかかってきた。
もうそうなったら、僕は何にもできないで、極度のあがり症に打ちのめされ続けた。
ゼミの中で強力目立たないようにしていた。目立たないようにしていたら、失敗したときも傷を浅くてすむ。
それに、ほっといてもらいたかった。
大学四年間も結局なんにもSADの症状は良くならないし、よけい緊張やあがり症が強まった。むしろSADが重くなった。
就職がこわかった。またこの致命的な弱点を抱えたまま、面接を受け(ここで落とされるのは明白だった)、かりに就職できたとしても、また会議が怖かった。
人と接しない仕事をしたかった。
裏街道しか歩めない自分が情けなく、腹立たしく、憂鬱だった。
就職しないように決めた。それは、就職試験を受け、面接の時、何にも喋ることがほとんどできなかったからだ。
しどろもどろの自分が悲しくなった。生きてはいけないと思った。
他の人も面接の時緊張していた。だけど、僕のは次元が違った。あがり症と一言で片づけられない、非常に重い神経症だった。
もう、緊張する場面になるとそういった神経回路にしかならないんだろう。
両親の手前、フリーター(今で言うとニート状態)になることは、心苦しかったが、どうしようもなかった。
両親も子供の頃はあんなに・・・・と言った感じで、グロッキー状態の僕を心配していた。
極度のあがり症やSADであり続けること、それは死(自殺)へのカウントダウンだった。
ニート、フリーター、プータロー時代へ
カンダタの極度のあがり症の体験談 高校生時代 何をやってもあがり症が治らないッ!!!
高校生(。 。 極度のあがり症、SADになったけれど、何やっても治らない!
心機一転、高校はうまくやろうと決心した。だから、がちがちに緊張をよけいした。女子生徒に笑われるマネはしないようにしようと決心もした。
でも、失敗した。しどろもどろ。
また教室の前に立って、みんなの前で研究を発表するという催しがあった。その出番が来ることが苦痛でしょうがなかった。
その日は休んだ。
でも、学校に出た日、一人だけで発表させられた。みんな聞いてやろう、という姿勢でいた。ニヤニヤしている奴らもいた。僕は泣いてしまった。半泣きといった方がいいかも。
何もしゃべれなかった。担当の先生が気を利かせて、授業終わったら先生だけに聞かせてくれ、といった。惨めで惨めで自殺しようと思った。その時なにか別のショックがあったら、飛び降りていたかもしれない。
それからいじめにあうこともあった。
みな悪口やからかいの対象に僕を担ぎ上げようと画策しているかのように思えた。毎日毎日が憂鬱で苦しかった。
SADに完全に仕上がっていた。それに極度のあがり症になっていた。まともに話すことすらかなわない状態で、この弱点を抱えたまま、生きていけないとおもった。真っ暗闇だったなぁ。
この先治らなければ自殺するしかなかった(だから今SADや極度のあがり症を克服できていなかったら自殺していたかもしれない)
どうにか自分の症状を変えたいと思って、身近な京都の心理カウンセリングルームに行った。あがり症はよくある症状といってくれて、とてもホッとした。いまでも、その暖かさは忘れない。
でも、寂しくもあった。なんら良くなることにつながらなかったからだ。どんどん通うのもおっくうになってきた。
日課をこなすだけだったし、高校生の僕が、こんなところに通っているなんてとても恥ずかしい気がした。
同年代の奴らは、通う必要がないのに。
もし、カウンセリングルームから出てきたところを、知り合いに見つかったらどうしようと怯えてもいた。ばからしい!
そこは知り合いの奴らが絶対通らない道なのに!
こんなふうに僕はいつでもどこでも怯えて生きていた。
でもカウンセリングルームから出たとき、人が前から歩いてくると、この人、悩んでいる人だな、と見られているかと思うと、いやだった。
とにかく話すことのテクニックを身につければ、すべて解決するかも、有利にことを運べるという淡い期待を抱いて、話し方教室に通った。
このころはSADや極度のあがり症を治すことにまだまだ期待があった。夢があった。
話し方教室に通えばあがり症ともおさらばだ、と思っていた。
でも、習ったことも、すべてが、発表という場の恐怖心にすっかり飛んでしまった。
このおそってくる恐怖心にのまれるだけだった。
緊張するのは誰でも当たり前と言われても、自分は次元の違うあがり症なんだと思い知った。
話し方教室の先生も自分を扱いかねているようだった。惨めな気持ちがした。
積極的な弁論術を身につけようと通っている人もいて、蔑視されているなと感じた。
勝手に僕のSADの症状がそう思わせたのかもしれないけれど・・・・。だから足が遠のいた。
相変わらずクラスでは苦しい思いをしていた。不登校をしたかった。でも、不登校を一度でもしたらもう戻れないという予感があって、無理してでも通っていた。
ドロップアウトは、人生からのドロップアウトだとすら、僕は思いこんでいた。
中学で書いたことが、日常的に僕の身に起きていた。早く高校が終われと思っていた。
逃げ出したかった、時間が早く過ぎて、とにかく助かりたかった。
大学時代以降
極度のあがり症の体験談 中学生時代 どうしてもあがり症が治らない頃
中学生(;。 ;) 自意識が芽生えた時SADにはまっていくトラウマが起こり続ける…
女の子を意識する年頃だった。自意識もどんどん芽生えていった。急にませた友達もいた。
小学校の時とても仲が良かった吉田は女の子とべたべたするようになった。
その変化にショックを少なからず覚えた。
また奴は僕のことを疎外し始めた。まわりのうち解けていた友達も急によそよそしくなった。
それは自意識が芽生え、皆大人になっていく時のよくあること、だったのかもしれない。
でも、なぜか心の中に不安がよぎった。
生きづらさや胸苦しさを初めて感じた。なんか違うな、と感じた。
そのよそよそしくなっていく友達にあわせようと、無理をした。だから窮屈だった。
でも、離れていって欲しくなかった。
女子とも昔のようにしゃべれなくなった。なにか怖い生き物のように感じ始めた。昔は分け隔てなくしゃべれていたのに。
そんな状態で、中学も1年、2年と過ぎていった。
大問題が起こったのは中学3年の忘れもしない秋頃だった。
僕はどんどん、昔のような明るさやのびのびとした気持ちはなくなっていき、憂鬱が多くなっていった頃だ。
昔の僕を知っている奴らも、そんな僕のことを不思議がった。サト子も吉田も同じクラスだった。
昔のようにしゃべれなくなっていた僕は、昔のように楽しくしゃべろうと試みた。
その強い自意識と良く思われようという頑張りの姿勢をむき出しで、二人の会話に割り込んだ。
そのとき吉田が、 「お前、つまらなくなったな」とか「どもってるぞ」といって笑った。
人から悪口や嘲笑されたことがなかった僕は、異常なショックを受けた。しかも、サト子も笑っていたのだ。
笑うだけなら、僕も忘れることができたかもしれない。サト子は、僕の口調をまねしたのだ。
良く喋っていたが、決して舌回りがなめらかではない僕だった。
でも、それをはっきり、笑いの対象として見られていることをまったく意識していなかった。
だから、マネされて笑われたこと、しかも昔親しかった二人にやられたことは、この上ない異常な衝撃だった。
頭をなにかで殴られた気がした。殴りたかったし、犯してやる、とまで思った。でも、当然できなかった。
吉田とサト子はつきあい始めた。彼らが怖くてたまらなかった。彼らの前で心が萎縮したし、異常な緊張感を持ってしまった。僕はすっかりうつ状態だった。
それからいつも、自分の口調、話し方を考えていた。それほどおもしろい笑いの対象となるしゃべり方なのか?
レコーダーを買ってきて、自分の声を録音し、聞きたかった。
でも、万が一、自分でも変なしゃべり方をしているとわかると、もう一生立ち直れない気がした。
コンプレックスが一生ついて回ると思った。
カラオケにも行けなくなった。誘われても、絶対断った。本当はカラオケをみんなとしたかったし、わいわいやりたかった。
意識したくないけれど、勝手に意識する心が暴走して、とことんまで、人の目が気になりはじめた。
人からの視線や評価も怖かった。声を出すことすらはばかった。
いまもクラスのどこかで自分を笑いものにしている、と思い始めた。
みんな僕のことをのけ者にしているんじゃないかと思い始めた。
たとえば授業中トイレに行く、という目立つ行為をすると、みんな僕がいなくなった後に、ひそひそ、いやあからさまに笑いものにするんじゃないか、と怯えた。だからいつも教室にいた。
だけど聞こえてくるのは、僕の名前らしい発音だ。「声」「しゃべり」という声が聞こえてくると、ビクッとなった。
全身が反応した。身の毛もよだつ、そんな状態だった。
その時でも、クラスの発表の時はなぜか自分のしゃべり方を気にしたことはなかった。
でも、社会の地理の教科書を読まされた時だ。あれは忘れもしないブラジルのところだ。僕は教科書を立って読んでいた。とても緊張していた。
ブラジルの何かおもしろい地名があった。僕は思わず読みながら、一人で笑ってしまった。
緊張しすぎると逆に笑ってしまう人の習性があるらしい…
クラス中も僕に反応して笑ってくれることを望んでいた! でも! しらーとした、みんな白い目で僕を見ていた(そうはっきり感じた!)。ひそひそと僕のことを軽蔑するように見て話している女性ともいる。
吉田やサト子もなにか話して含み笑いをしていた。僕はおびえた。すごい失敗をして、恥をかいてしまった。それ以来、当てられるのが恐怖になった。笑ってしまったらどうしようと思った。
そのとき、一瞬僕の中に電撃のように何かが走った。「どもったらどうしようっ!」 そう思った瞬間、次当てられたら最後だと思った。
そして、次当てられてしまったっ! しどろもどろでやっと読み終えた。もう泣きたくて泣きたくてしょうがなかったなぁ。
クラスの奴らに笑ってもらったほうがよかったとおもった。そっちのほうがまだしも気が晴れた。
でもみんなの反応はシラーっとした冷たいものだったから、余計惨めに感じた。もうだめだ、とおもった。
実際だめになってしまった。どうにか中学を卒業した。いやなやつらともおさらばだと思った。
成績は急降下していた。勉強の集中力もなくなり、生きることも疲れてしまった。
いつも声のこと、自分のこと、話し方のこと、クラスメートのこと、嫌われたらどうしよう、笑われたらどうしよう、そればかり考え疲れ果てていた。
高校生へ
カンダタの極度のあがり症の体験談 無邪気な子供時代 いつ僕はあがり症に転落したのか
蜘蛛の糸をのぼれば 極度のあがり症の体験談
第一章 カンダタ苦しみの記録
(^o ^)→(;。 ;)→(。 。→(T T;)→\(To T;)→\(T、 T;)→(「o 「)
生まれてから 小学校卒業まで(^o ^) SADや極度のあがり症で地獄を見る前…
のびのびして生きていたなぁ。なんにも未来に苦しいとか、疑念を抱かない子供だった。
子供らしい子供だったと思う。
どうして、後々、ひどいことになっていったのだろう。世の中は無情だと思う。
人生を普通に生き抜くことでも大変だ、いつどん底に突き落とされるかわからない…
人見知りはたしかにあった。でもうち解けてしまえば、僕は暴れ回った。元気があふれていた。
担任だろうが目上の人だろうが、敵意を持っていない人なら、すぐうち解けられた。
自分がどう思われているとかまったく考えなかった。だから、みんなから少なからず、かわいい奴だとは思われていたみたいだし、その栄養を吸収して、のびのびと生きていた。
人の悪意があることなんか考えてもみなかったし、自分だけは無縁に生きていけるだろうと、いじめられている同級生を見て優越感に浸っていた。
でも、人が残酷な生き物であるとはまったく予想外だった。いたずらもたくさんして、たくさん笑って、運動した。
勉強もクラスでトップクラスだった。
いじめられている女子生徒なんか人ごとだった。いじめには加わらなかったけど、どこかで、その子に残酷な気持ちを持っていたと思う。
まさか、のちに自分がそんな状態になるとは夢にも思わなかった。夢にも思わなかったから、青天の霹靂だったんだろう。
あと自意識なんか感じないで生きていた。ガキの頃はみんなそうなんだろうけど。
だから、悩んでいる最中は、子供の頃は良かった、あの頃に戻りたいとずっと思っていた。
あんなに無邪気だったら、悩まなかったのに。
なんで、自意識過剰になって、人や評価に敏感になったんだろうと思っていた。
けっこう人気者だった。つきあうとか、そんなことはなかったけど、お気に入りの女の子(サト子)とは相思相愛だった。気分がよい時が多かった。
この女の子のことで、トラウマができてしまうのは中学校の時だけど、とにかく仲が良かった。話が弾みに弾んだ
公立の中学のため、小学校時代の友達も知り合いもほとんどそこに通った。
そこから地獄が始まる・・・
中学生へ