蜘蛛の糸をのぼれば 極度のあがり症が治らない人へ 治った者からエールと治し方を書いていくブログ

幣ブログ管理人のカンダタです。 【蜘蛛の糸をのぼれば】にようこそ! 極度のあがり症がどうしても治らない人の数は予想を遥かに超えていた! しかしこの弱点を克服できないと大変なことになっていきます! 僕がどんだけ大変な思いをしてきたか! だからこのブログに体験談や克服方法を書いていきます!

カンダタの極度のあがり症の体験談 再びニート、フリーター時代 あがり症に治る方法なんて・・・

社会不安障害克服体験談

ずっとあがり症が治らなかった男の体験談


ニート・フリーター・プータロー(「o 「)

催眠療法ヒプノセラピー)にまだ未練があった。大阪のところは所詮あんなところだと思い、京都で最後に通ってダメならあきらめようとした。

森田療法は入院が嫌だった。精神科はもう問題外だった。前世療法もしっくりこない。軽蔑すらしていた。

働いていなかったから、お金がなかった。親から借りなければならないけど、高かった。ヒプノセラピー催眠療法)にいくと言えば、許さないだろう。
心の悩みで苦しんでいるなら、薬を飲め、と絶対言ったと思う。精神科・カウンセリングルームの知識しかないだろう。
でも、結局いえなかった。お金はバイトで貯めたお金と親からくすねたお金で払った(今はもう親にバンバン仕送りをしているのでチャラです)。

そこはまだ、前二つよりはましだった。軽い催眠状態に入れた。
振り子を自分の意志(無意識?)でうごかせたし、体も重くなったり、暖かくなったりした。
おなかもほんわり温かみを持つようにできた。これが入り口かな、と思って、今後上達することに期待が持てた。

でも、ずーっと通っても、そのままだった。ずーっと! これはCDでもつくりこめるようになったし、もう通う必要もなくなった。必要がなくなったということは、僕がいよいよ追いつめられたと言うことだった。
先は真っ暗で、一生SADの弱点を抱えて生きなければならない、と言うことだった。

無期懲役を宣告されたようなものだった。
自殺までのカウントダウンが始まった。
マイナスの言葉が連鎖しておそってくる強迫観念に悩まされるようになり、部屋から出ることすら憂鬱になった。
親は、僕のことをせっついた。それができたら、どんなにいいか、ばりばりに働いてやるのに! 
それがどうしてもっできない!! 

ジレンマに陥り、よけいマイナス思考になった。落ち込みつづけた。
うつ状態に陥っていたと思う。(自分には鬱病という意識はなくて、極度のあがり症・SAD・吃音という症状としてとらえていた)。

この状態に光が差すのはまだまだ先だったなぁ・・・・


ここまで、読んでいただき、お疲れ様でした。思ったより長くなってしまいました。
もっと簡単に書こうと思ったけど、自分のことだから、こうなってしまいました。

それでも、細かいことを書けば、とんでもなく長くなりますから、ここがちょうどいいところだと思う 
次は、希望が出てくるページです。とても親切なSAD克服者との出会い、そして紹介を受けたDream Art Laboratoryの岩波英知先生に出会い、奇跡的に極度のあがり症やSADが治るまで

◎カンダタの希望の記録へどうぞ蜘蛛の糸が僕の目の前に垂らされたッ)

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カンダタの極度のあがり症の体験談 社会人時代 どうしても治らないあがり症のせいで再び・・・・

社会不安障害克服体験談

なかなかあがり症、社会不安障害が治らなかった頃


社会人\(T、 T;)

やっぱり、僕には社会に出ることは無理だと働いて改めて思い知らされた。

高校と大学であったことが、会社の場合、責任から逃れない分、給料をもらっている分、厳しく襲いかかってきた。
低く見られていたのも無惨に感じたし、陰湿な職場だった。早くやめたかった。

でも早くやめると、逃げる気がした。ぎりぎりまで頑張ってやめてやると思った(僕は変な頑張りだけはあったのです)。

周りともうち解けず、特に月曜日は苦痛で苦痛でしょうがなかった。月曜日は自殺者が一番多いと言うけど、僕みたいな人間が死んでいるんだろうな、と人ごとではなくなった。
サザエさんが日曜日夕方にやっていると、憂鬱になった。
明日が来るからだ。大河ドラマが終わるといっそう憂鬱が増した。でも給料は出た。

そのお金でヒプノセラピー催眠療法)に通った。大阪で有名な、駅でよく見かけるところだった。宣伝をしていると言うことは、有能な人なんだろうと思った。

 

実際通ったら拍子抜けした。前のヒプノセラピー催眠療法)よりも全然違うだろうという期待が見事裏切られた! 愕然とした。
ヒプノセラピー催眠療法)で有名なところでも、このレベルかと思った。いや、ここがこのレベルなら、他もみんな同じだ。
そういうものなんだと思い、怖くなった。

自律訓練法のCDをそこから買い、毎晩聞き続けた。
電車の中でも聞き続けた。でも、なーんにも起こらなかったなぁ。
自律訓練法で極度のあがり症やSADが治るくらいならば、自殺者は激減しているだろう。

会社もきつくなり、ついに耐えられなくなってやめた。
親には就職をまだしていることをごまかすために、朝から家を出て、どこかで時間をつぶしていた(インターネットカフェや図書館など)。
でも、それも苦痛になり、やめたことをいい、またニート・フリーター生活になった。時々短期バイトはした。
引きこもり続けていたら、僕自身が完全に廃人ニートになってしまう恐怖感を持っていたから。

 

再びニート、フリーター、プータロー時代へ

 

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カンダタの極度のあがり症の体験談 ニート、フリーター、プターロー時代 何をやってもあがり症が治らない・・・

社会不安障害克服体験談ブログ

あがり症、社会不安障害が治らない頃の話


ニート・フリーター・プータロー\(To T;)

フリーターになったが、短期のバイトだけやっていた。このころは、年も若いし、その間に絶対SADから良くなろう! と思っていた。
だからといって、どこでどう良くなるかは全くわからなかった。いつか、治っている、と言う慰みだけが、僕を支えていた。

また別の話し方教室に通った。以前通ったところと全く変わらなかった。
でも、何かしていないといけないから、義務として通っていた。何もあがり症対策をしていないと気が変になりそうだったから。

話し方に弱点がある人がたくさん来ていた。多いんだな、と改めて思ったけど、僕がよくならないことには何にも意味がなかった。
良くなっている人もいなかった。潜在意識が原因だな、と改めて痛感した。

だから、どこかに通わざるを得ないから、とりあえず、カウンセリングルームにまた通った。
京都より大阪のほうが、いいところがあるだろうとおもって、通った。
大きなところにかよったら、目当てのカウンセラーではなく失望した。でも無駄に通い続けた。
まったく良くならなかったけれど、必死で耐え続けてきた極度のあがり症とSADの悩みをはき出せたのはよかった

そうじゃないと気が狂いそうだったから、うつ状態もひどくなっていった。

 

一応世間体を気にして、就職しようと思った。
一人では働ける職場で、コミュニケーションがいらない職場だった。仕事雑誌をとことん調べた。
コンピューター関連がいいと思った。パソコンとにらめっこしていればいいから。

夜間警備も考えたけど、夜間労働は、僕の自律神経が狂ってもっと鬱になってしまうかも、と恐怖になり、候補からはずした。

 

社会人時代へ

 

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カンダタの極度のあがり症の体験談 大学生 あらゆる治療法や治し方を模索 それでも治らない!

極度のあがり症が治らない原因と治った体験談ブログ

どんな治療法もあがり症の悪化を食い止められなかった


大学生(T T;)
  精神科、ヒプノセラピー催眠療法)、本、治らないままSADが悪化していく

どうにか大学に通えた。ずーっと成績が悪かった僕も、受験の時だけは頑張った。
一人で学習するから、人は気にしなくていいのだ。

そのかわり、受験の時、緊張して落ち着かなかった。大学に入ってからも、一番の気がかりは会話、人前での発表につきた。大きな大学で、人数もたくさんいるので、大人数生の授業が多いと聞いていたため、ほっとしていた。
よくさぼれることも、うれしかった。でも、そんなことは世間が許さなかった。

 

外国語をとらなくちゃいけない。外国語は少人数制だった。しかも毎回発表する。おじけづいた。
そんな形式を受けないように受けないようにしっかりと発表をさせられない授業を選ぼうと思った。
でも、どれがその発表しない形式なのかわからなかったから、運だった。

いっそのこと、講師に、自分が発表が大の苦手だと言うことういって、さされないようにしようかと思った。
また、友達を作ることを極力避けていた

一緒の授業に出たとき、自分の弱点(極度のあがり症)が暴露することが耐えられなかった。
弱点がない自分という存在で、友達の前でいたかったから。

結局、英語・ドイツ語ともにさされる授業だった。毎日、その授業がある日は憂鬱だった。つっかえつっかえ、周りからおかしいと思われながらも、当てられた日は人前で話したが、終わったら泣きそうだった

それをどうしても避けるために、精神科に通った。発表形式の授業があるとわかったときに、それまでに良くなろうと思ったから。

京都にある精神科に通ったが、結果は芳しくなかった。医者の事務的な態度に違和感を覚えた。また受付の女も感じが悪かった。
最初に通ったカウンセラーはとてもやさしかったから、そのギャップがよけい落ち込ませた。

抗不安薬を飲んでも、あいかわらずあがり、緊張をし、しかも頭がぼーっとして眠くて眠くてしょうがなかった
体質があるからと言われたが、眠くなるのはとても嫌だった。

次々と新しい薬、また増やしたりして、様子を見ていたが、まったく変わる気配がないのに、僕は愕然とした。
抗不安薬を飲んでも極度のあがり症やSADに効果がないのは、やばいと思った。

医者が悪い? でも、出す薬は同じだし、こちらの都合(体質とかSADがあまりにひどすぎる)によるものだと考えてしまうと、未来が遠のいた感じがした。

本屋がよいの日々が始まった。大手書店に行き、いい治療法がないか探した。
様々な研究所・療法紹介・症状紹介の本があり、希望が出てきたのをよく覚えている。
これだけ本があるなら、突破口があるはず、と思った。

そこでヒプノセラピー催眠療法というものがあることに気づいた。それに期待を持ち、早速、極度のあがり症、吃音どもり克服ということを謳い文句にしているヒプノセラピー催眠療法)所に通い始めた。

どきどきした。見当が全くつかないし、それだけ期待もあった。そこでヒプノセラピー催眠療法)の残酷な事実に愕然とした。
僕は催眠に入れない体質だという。
また階段が一つはずされた。
ヒプノセラピー催眠療法)に通い始めてからそういわれたから、悔しかった。自分の体質にも腹が立った。

実は催眠状態はよっぽど深い状態にならないと意味がないらしい。催眠状態に入れる人も、ほんの少数だという。

もう一つ、ヒプノセラピー催眠療法)の施術はセラピストの実力が非常に重要だという。だから、腕利きのセラピストを見つければ、催眠に入れない僕でもいつか入れて、極度のあがり症やSADも解消するという期待はあった。


大学後半にはゼミがあった。これが一番おそれていたことだった。
研究の発表、討論会、わきあいあいとゼミの授業が行われる、そう考えると落ち込んだ。
いかに避けて通るか、対策をとりたかった。

でも、ゼミと卒論を突破しなくちゃ、卒業はできない。その前に何かしようと思った。
緊張しない話し方の本を読んだり、自己啓発の本、あがらない対策の本を読んだ。

でも、実際、人前でそれができなかった。僕の無意識がそうすることを妨げた。
圧倒的なあがってしまうという強迫観念が、どんなに本を読んで対策をとっても、襲いかかってきた。
もうそうなったら、僕は何にもできないで、極度のあがり症に打ちのめされ続けた

ゼミの中で強力目立たないようにしていた。目立たないようにしていたら、失敗したときも傷を浅くてすむ。
それに、ほっといてもらいたかった。

大学四年間も結局なんにもSADの症状は良くならないし、よけい緊張やあがり症が強まった。むしろSADが重くなった。


就職がこわかった。またこの致命的な弱点を抱えたまま、面接を受け(ここで落とされるのは明白だった)、かりに就職できたとしても、また会議が怖かった。
人と接しない仕事をしたかった。

裏街道しか歩めない自分が情けなく、腹立たしく、憂鬱だった。

就職しないように決めた。それは、就職試験を受け、面接の時、何にも喋ることがほとんどできなかったからだ。
しどろもどろの自分が悲しくなった。生きてはいけないと思った。

他の人も面接の時緊張していた。だけど、僕のは次元が違った。あがり症と一言で片づけられない、非常に重い神経症だった。

もう、緊張する場面になるとそういった神経回路にしかならないんだろう。
両親の手前、フリーター(今で言うとニート状態)になることは、心苦しかったが、どうしようもなかった。
両親も子供の頃はあんなに・・・・と言った感じで、グロッキー状態の僕を心配していた。

極度のあがり症やSADであり続けること、それは死(自殺)へのカウントダウンだった。

 

ニート、フリーター、プータロー時代へ

 

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カンダタの極度のあがり症の体験談 高校生時代 何をやってもあがり症が治らないッ!!!

あがり症が治らなかった頃、治った現在から見て

極度のあがり症が何をやっても治らない・・・


高校生(。 。 極度のあがり症、SADになったけれど、何やっても治らない!

心機一転、高校はうまくやろうと決心した。だから、がちがちに緊張をよけいした。女子生徒に笑われるマネはしないようにしようと決心もした。
でも、失敗した。しどろもどろ。

また教室の前に立って、みんなの前で研究を発表するという催しがあった。その出番が来ることが苦痛でしょうがなかった。
その日は休んだ。

でも、学校に出た日、一人だけで発表させられた。みんな聞いてやろう、という姿勢でいた。ニヤニヤしている奴らもいた。僕は泣いてしまった。半泣きといった方がいいかも。

何もしゃべれなかった。担当の先生が気を利かせて、授業終わったら先生だけに聞かせてくれ、といった。惨めで惨めで自殺しようと思った。その時なにか別のショックがあったら、飛び降りていたかもしれない。

それからいじめにあうこともあった。

みな悪口やからかいの対象に僕を担ぎ上げようと画策しているかのように思えた。毎日毎日が憂鬱で苦しかった。

SADに完全に仕上がっていた。それに極度のあがり症になっていた。まともに話すことすらかなわない状態で、この弱点を抱えたまま、生きていけないとおもった。真っ暗闇だったなぁ。

この先治らなければ自殺するしかなかった(だから今SADや極度のあがり症を克服できていなかったら自殺していたかもしれない)

 

どうにか自分の症状を変えたいと思って、身近な京都の心理カウンセリングルームに行った。あがり症はよくある症状といってくれて、とてもホッとした。いまでも、その暖かさは忘れない。

でも、寂しくもあった。なんら良くなることにつながらなかったからだ。どんどん通うのもおっくうになってきた。
日課をこなすだけだったし、高校生の僕が、こんなところに通っているなんてとても恥ずかしい気がした。

同年代の奴らは、通う必要がないのに。

もし、カウンセリングルームから出てきたところを、知り合いに見つかったらどうしようと怯えてもいた。ばからしい! 
そこは知り合いの奴らが絶対通らない道なのに! 
こんなふうに僕はいつでもどこでも怯えて生きていた

でもカウンセリングルームから出たとき、人が前から歩いてくると、この人、悩んでいる人だな、と見られているかと思うと、いやだった。

とにかく話すことのテクニックを身につければ、すべて解決するかも、有利にことを運べるという淡い期待を抱いて、話し方教室に通った。

このころはSADや極度のあがり症を治すことにまだまだ期待があった。夢があった。

話し方教室に通えばあがり症ともおさらばだ、と思っていた。
でも、習ったことも、すべてが、発表という場の恐怖心にすっかり飛んでしまった。
このおそってくる恐怖心にのまれるだけだった。

緊張するのは誰でも当たり前と言われても、自分は次元の違うあがり症なんだと思い知った。
話し方教室の先生も自分を扱いかねているようだった。惨めな気持ちがした。

積極的な弁論術を身につけようと通っている人もいて、蔑視されているなと感じた。

勝手に僕のSADの症状がそう思わせたのかもしれないけれど・・・・。だから足が遠のいた。


相変わらずクラスでは苦しい思いをしていた。不登校をしたかった。でも、不登校を一度でもしたらもう戻れないという予感があって、無理してでも通っていた。
ドロップアウトは、人生からのドロップアウトだとすら、僕は思いこんでいた。
中学で書いたことが、日常的に僕の身に起きていた。早く高校が終われと思っていた。
逃げ出したかった、時間が早く過ぎて、とにかく助かりたかった

 

大学時代以降

 

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極度のあがり症の体験談 中学生時代 どうしてもあがり症が治らない頃

極度のあがり症が治らない体験談ブログ

思春期にあがり症がひどく悪化した体験記


中学生(;。 ;)  自意識が芽生えた時SADにはまっていくトラウマが起こり続ける…

女の子を意識する年頃だった。自意識もどんどん芽生えていった。急にませた友達もいた。
小学校の時とても仲が良かった吉田は女の子とべたべたするようになった。
その変化にショックを少なからず覚えた。

また奴は僕のことを疎外し始めた。まわりのうち解けていた友達も急によそよそしくなった
それは自意識が芽生え、皆大人になっていく時のよくあること、だったのかもしれない。
でも、なぜか心の中に不安がよぎった。

生きづらさや胸苦しさを初めて感じた。なんか違うな、と感じた。
そのよそよそしくなっていく友達にあわせようと、無理をした。だから窮屈だった。

でも、離れていって欲しくなかった。

女子とも昔のようにしゃべれなくなった。なにか怖い生き物のように感じ始めた。昔は分け隔てなくしゃべれていたのに。
そんな状態で、中学も1年、2年と過ぎていった。


大問題が起こったのは中学3年の忘れもしない秋頃だった。
僕はどんどん、昔のような明るさやのびのびとした気持ちはなくなっていき、憂鬱が多くなっていった頃だ。
昔の僕を知っている奴らも、そんな僕のことを不思議がった。サト子も吉田も同じクラスだった。

昔のようにしゃべれなくなっていた僕は、昔のように楽しくしゃべろうと試みた。
その強い自意識と良く思われようという頑張りの姿勢をむき出しで、二人の会話に割り込んだ。

そのとき吉田が、 「お前、つまらなくなったな」とか「どもってるぞ」といって笑った
人から悪口や嘲笑されたことがなかった僕は、異常なショックを受けた。しかも、サト子も笑っていたのだ。

笑うだけなら、僕も忘れることができたかもしれない。サト子は、僕の口調をまねしたのだ。
良く喋っていたが、決して舌回りがなめらかではない僕だった。

でも、それをはっきり、笑いの対象として見られていることをまったく意識していなかった。
だから、マネされて笑われたこと、しかも昔親しかった二人にやられたことは、この上ない異常な衝撃だった。
頭をなにかで殴られた気がした。殴りたかったし、犯してやる、とまで思った。でも、当然できなかった。


吉田とサト子はつきあい始めた。彼らが怖くてたまらなかった。彼らの前で心が萎縮したし、異常な緊張感を持ってしまった。僕はすっかりうつ状態だった。

それからいつも、自分の口調、話し方を考えていた。それほどおもしろい笑いの対象となるしゃべり方なのか? 
レコーダーを買ってきて、自分の声を録音し、聞きたかった。
でも、万が一、自分でも変なしゃべり方をしているとわかると、もう一生立ち直れない気がした。
コンプレックスが一生ついて回ると思った。

カラオケにも行けなくなった。誘われても、絶対断った。本当はカラオケをみんなとしたかったし、わいわいやりたかった。

意識したくないけれど、勝手に意識する心が暴走して、とことんまで、人の目が気になりはじめた。
人からの視線や評価も怖かった。声を出すことすらはばかった。

いまもクラスのどこかで自分を笑いものにしている、と思い始めた。
みんな僕のことをのけ者にしているんじゃないかと思い始めた。

たとえば授業中トイレに行く、という目立つ行為をすると、みんな僕がいなくなった後に、ひそひそ、いやあからさまに笑いものにするんじゃないか、と怯えた。だからいつも教室にいた。

だけど聞こえてくるのは、僕の名前らしい発音だ。「声」「しゃべり」という声が聞こえてくると、ビクッとなった。
全身が反応した。身の毛もよだつ、そんな状態だった。

その時でも、クラスの発表の時はなぜか自分のしゃべり方を気にしたことはなかった。

 

でも、社会の地理の教科書を読まされた時だ。あれは忘れもしないブラジルのところだ。僕は教科書を立って読んでいた。とても緊張していた。
ブラジルの何かおもしろい地名があった。僕は思わず読みながら、一人で笑ってしまった。
緊張しすぎると逆に笑ってしまう人の習性があるらしい…

クラス中も僕に反応して笑ってくれることを望んでいた! でも! しらーとした、みんな白い目で僕を見ていた(そうはっきり感じた!)。ひそひそと僕のことを軽蔑するように見て話している女性ともいる。

吉田やサト子もなにか話して含み笑いをしていた。僕はおびえた。すごい失敗をして、恥をかいてしまった。それ以来、当てられるのが恐怖になった。笑ってしまったらどうしようと思った。

そのとき、一瞬僕の中に電撃のように何かが走った。「どもったらどうしようっ!」 そう思った瞬間、次当てられたら最後だと思った。 

そして、次当てられてしまったっ! しどろもどろでやっと読み終えた。もう泣きたくて泣きたくてしょうがなかったなぁ。

クラスの奴らに笑ってもらったほうがよかったとおもった。そっちのほうがまだしも気が晴れた。

でもみんなの反応はシラーっとした冷たいものだったから、余計惨めに感じた。もうだめだ、とおもった。

実際だめになってしまった。どうにか中学を卒業した。いやなやつらともおさらばだと思った。

成績は急降下していた。勉強の集中力もなくなり、生きることも疲れてしまった

いつも声のこと、自分のこと、話し方のこと、クラスメートのこと、嫌われたらどうしよう、笑われたらどうしよう、そればかり考え疲れ果てていた。

 

高校生へ

 

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カンダタの極度のあがり症の体験談 無邪気な子供時代 いつ僕はあがり症に転落したのか

あがり症の原因とルーツを紹介したブログ

カンダタの極度のあがり症のルーツと体験談


蜘蛛の糸をのぼれば 極度のあがり症の体験談

第一章 カンダタ苦しみの記録

(^o ^)→(;。 ;)→(。 。→(T T;)→\(To T;)→\(T、 T;)→(「o 「)

 

生まれてから 小学校卒業まで(^o ^) SADや極度のあがり症で地獄を見る前…

のびのびして生きていたなぁ。なんにも未来に苦しいとか、疑念を抱かない子供だった。
子供らしい子供だったと思う。

どうして、後々、ひどいことになっていったのだろう。世の中は無情だと思う。
人生を普通に生き抜くことでも大変だ、いつどん底に突き落とされるかわからない…

人見知りはたしかにあった。でもうち解けてしまえば、僕は暴れ回った。元気があふれていた。
担任だろうが目上の人だろうが、敵意を持っていない人なら、すぐうち解けられた。

自分がどう思われているとかまったく考えなかった。だから、みんなから少なからず、かわいい奴だとは思われていたみたいだし、その栄養を吸収して、のびのびと生きていた。

人の悪意があることなんか考えてもみなかったし、自分だけは無縁に生きていけるだろうと、いじめられている同級生を見て優越感に浸っていた。

でも、人が残酷な生き物であるとはまったく予想外だった。いたずらもたくさんして、たくさん笑って、運動した。
勉強もクラスでトップクラスだった。

いじめられている女子生徒なんか人ごとだった。いじめには加わらなかったけど、どこかで、その子に残酷な気持ちを持っていたと思う。
まさか、のちに自分がそんな状態になるとは夢にも思わなかった。夢にも思わなかったから、青天の霹靂だったんだろう。

あと自意識なんか感じないで生きていた。ガキの頃はみんなそうなんだろうけど。
だから、悩んでいる最中は、子供の頃は良かった、あの頃に戻りたいとずっと思っていた。

あんなに無邪気だったら、悩まなかったのに。
なんで、自意識過剰になって、人や評価に敏感になったんだろうと思っていた。

けっこう人気者だった。つきあうとか、そんなことはなかったけど、お気に入りの女の子(サト子)とは相思相愛だった。気分がよい時が多かった。
この女の子のことで、トラウマができてしまうのは中学校の時だけど、とにかく仲が良かった。話が弾みに弾んだ

公立の中学のため、小学校時代の友達も知り合いもほとんどそこに通った。
そこから地獄が始まる・・・

 

中学生へ

 

 

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当ブログの構成と概要

社会不安障害の克服ブログと体験談

カンダタのあがり症が治ったブログ概要と紹介

 

蜘蛛の糸をのぼれば 目次

◎カンダタの苦しみの記録(極度のあがり症・SAD・話し方トラブル)

簡単な概要

最初僕はのびのびとした明朗活発な子供でした。誰とでも話が弾むくらいで、人見知りはあったにせよ、まさかあれほど落ち込むことになろうとは。
そこから、対人緊張や対人恐怖の段階になり、極度のあがり症に落ち込み、会話も発表もすべてが苦痛で地獄で、コンプレックスをどんどん持ってしまう状態になりました。
話し方教室や催眠療法ヒプノセラピー、精神科、カウンセリングなどをチャレンジしてもいっこうに神経症が治らないジレンマまで書いています。僕の苦しい人生の記録です。
僕の症状のルーツ分析です。

◎カンダタの希望の記録(あがり症/話し方弱点の克服プログラムに参加)

簡単な概要

失望と苦痛の連続だった僕の極度のあがり症・SAD・吃音が快方に向かうまでの希望の記録。本当に苦しい毎日でしたが、やっと報われる日が来ました。真剣な話ですが自殺をしなくてすみました。鬼才心理脳内コンサルタントとの出会いで、極度のあがり症、SADを克服できるまで。

 

◎通院・民間心理療法・施設の記録&カンダタが得た教訓! 極度のあがり症対策

簡単な概要

僕が今までチャレンジした精神科・カウンセリングルーム・精神科・ヒプノセラピー催眠療法)・Dream Art Laboratoryの神経症・あがり症克服プログラムの解決記録です。
そして、僕が極度のあがり症・SAD・どもりを克服する上で役だった教訓など

◎リンク(かつて悩んでいて良くなった人たち&話し方の技術獲得へ)

簡単な概要

相互リンクをいただいている方のサイトです。みな、極度のあがり症や人間関係の悩み、神経症を経験してきて、青春を台無しにされた人ばかり。でも蜘蛛の糸をちゃんと登り、はい上がれた人です。 是非、そちらもたどってみて下さい。

 

 

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このブログはこんな人向けに特に書かれています あがり症がどうしても治らない、薬にこれ以上頼りたくない、・・・・

極度のあがり症が治ったカンダタの体験記ブログ

こんなあがり症や社会不安障害の症状の方へ送るブログ


僕のブログを特に読んでもらいたい人

  • 自分でもどうにもできない無力感を感じている人
  • 話し方教室にかよっても変わらなかった人  
  • 極度のあがり症でどうしても治らない人
  • 人前で話すことができない人 
  • 面接で大失敗する人 
  • 会議での発言で悩んでいる人 
  • 恥をかき、今すぐ消えてなくなりたい人
  • あがって失敗をしたトラウマと心の傷がいつまでもうずく人
  • 人の評価を気になってしまう人
  • 饒舌になり、人前で堂々と話したい人 
  • 対人緊張で人と話せない人 
  • 人の目を見て話すことができない人 
  • 心理療法で良くならなかった人 
  • 人に恐怖や緊張不安をどうしても持ってしまう人
  • 人との会話で沈黙が怖い人 
  • 相手に不快感を与えているんじゃないかと思う人 
  • マイナス思考にばかりとりつかれる人 
  • 薬物療法をやっている人、やっていた人 
  • 薬を飲んで一時的にしのいでいる状況が苦痛でたまらない人
  • 抗不安薬の量が増えていって未来がなくなっている人
  • ヒプノセラピー催眠療法)で効果がなかった人 
  • 森田療法でも効果がなかった人 
  • カウンセリングルームに通ったことがある人 
  • 精神科に行ったことがある人
  • 人から話し方のことで馬鹿にされた人 
  • いじめやからかいを経験した人 
  • SADや対人恐怖の人 
  • 絶対治りたい! よくなりたい! 人  
  • 極度のあがり症で克服できる方法を知りたい人

 

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極度のあがり症が治った男から、どうしても治らない状況の人へメッセージ

社会不安障害、あがり症がどうしても治らない人へ

社会不安障害、あがり症がどうしても治らない人へ


社会不安障害、極度のあがり症で台無しになった青春の日々、克服してからの決意表明

最悪な極度のあがり症

“人前で普通に話す” 

このあたりまえで、誰でもできることを、できないことのつらさは最悪の部類に入るでしょうッ
普通にできないから、他人から見れば、「おかしな奴」「変わった奴」になってしまいます。

人にどう思われるよりもまず真っ先に自分に自信をなくします。
緊張しないようにしても緊張してしまうからです。
自信がないから余計緊張して、人に変に思われる、笑われちゃう。
悪循環のまま地獄に堕ちていく!!!!

普通に喋ることをあれだけ願望しても、逆ベクトルが強く働いて、しどろもどろ、ギクシャク、緊張、沈黙
最悪だッ!

なんで僕の強い願いがかなわない? 緊張で消し飛んでしまうのか?

僕だって、普通に話したい、発表したい、発言したかった、堂々と主張したかった。
人の目を見て話したかった! でもできなかった!
これがあるから、すべてのことで極度の緊張症がついてまわり、自信がなくなりました。
僕の存在そのものに対して自信がすっかり消え去る。
存在価値がない、そんなもの見いだせない思春期でした。
あがり症が極度のあがり症に悪化しても為す術もなく、SAD(社会不安障害)になっても治す術なかったです。

SADにさえかかっていなければ僕の人生はどれだけ輝いていたのだろう

もう生きていて楽しくないのでした! つらかった!
どれだけ、極度のあがり症、SADで人から馬鹿にされ、さげずまれてきたことか!
どれだけ、劣等感をもって生き、楽しいことを経験できなかったか!
どれだけ、フラストレーションだけを育み、はけ口すら見つけることができなかったか!

これさえなければ! これさえなければ! これさえなければ!
僕の今までの人生はこれとの対決だけだった。
なんて惨めな半生だろう……いつも考えているのは、弱点をさらけ出さないで生きられる方法のことだけ
全然プラス思考がなかったのです。

あがり症やSAD対策だけしかできない毎日

極度のあがり症対策だけで、毎日クタクタ・ヘトヘト。
こんなことをやり続けて何の意味があるのでしょうか?
何にもなかったです。

万が一、人に過緊張の弱点を笑われたり、馬鹿にされたら、自信が喪失、一気に気力がなくなります。
病的な怯え、敏感すぎる神経の状態や予期不安の苦しさで、心が開放されることなんてなかったです。

極度のあがり症が治った今感じること

だからこそ、今は燃えて生きている!
極度のあがり症の弱点がなくなった!
人よりも差がつけられる術を身につけることができた。
今もどんどん身につけている!

人前で平気で発言できるようになったし、堂々と人と対話できるようになった。
人を睨みつける気概まで持てるようになった。

これは全部一人の人間に起きた出来事です!

蜘蛛の糸が垂らされた、それを登った

蜘蛛の糸が垂らされた。それを見つけたのです。
必死で登った。だから、今がある

ハンデがない今、やることは、いかに満足して生きるかだけです。
このブログ作成で、過去とは完全に決別しようと思います。
そう思って作ろうと決心しました。

蜘蛛の糸は、いまあなたの目の前に垂らされているかもしれません。
今は見えなくても、必ずどこかにあるものです。
それを気づいて欲しい!

世の中は絶望だらけではないし、絶望の数だけ希望がありますよ
人にできていることは、必ずあなたもできます!

人にできることをできなかった僕ができるようになったんだからなおさらです。
そして、蜘蛛の糸をのぼる勇気を持ちましょう。
落ちたらどうしようじゃない、はい上がるしかないんだ!
この気持こそが、あなたを変えるし、僕を変えてくれた。

極度のあがり症やSADで暗闇から出られない人の力になります!

極度のあがり症やSADは自然に治りません。
人生を暗黒の闇のままで進んでいきたいですか?

僕はまっぴらごめんです。
だから手助けがしたいです。
極度のあがり症を克服できた今は、人助けがしたいです。
一人でも不幸のどん底に陥って戻れない人がいないように、今度は僕が蜘蛛の糸を垂らします。

 

 

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このブログの概要 蜘蛛の糸をのぼれば:あがり症が治らない人へ SADが治った男の体験談を綴ったブログ

社会不安障害克服体験談ブログ

あがり症や社会不安障害の体験談を書いたこのブログについて


蜘蛛の糸をのぼれば:あがり症が治らない人へ SADが治った男の体験談を綴ったブログ】の構成

  • ☆最初の天真爛漫な無邪気さ(極度のあがり症とは無縁の日々)

  • ★かつての自分のつらさ・苦しみ(極度のあがり症、SAD) 

  • ★SADが悪化していく自分の悲惨さ・治らない絶望感

  • ☆極度のあがり症を克服できていく自分のうれしさ・生きる希望

  • ☆地獄に堕ちていき、一本の蜘蛛の糸で天国へ上っていくまで

を書いていこうと思います。



☆そして蜘蛛の糸を垂らしてくれた心理コンサルタント岩波英知先生(世界に誇る天才、日本の宝です)のこと

願わくば、この蜘蛛の糸によって、今現在も極度のあがり症やSADに悩み続けている皆様も登れることを願っています。
蜘蛛の糸を登れば、あなたにはもう怖いものはなくなるでしょう!
人生はこれからです。

 

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僕の極度のあがり症、社会不安障害SAD、対人恐怖症、赤面症のこと

あがり症や社会不安障害が治らない人向けのブログ

あがり症や社会不安障害で苦しんでいるすべての人へ


極度のあがり症、SADで苦しみ、何をやっても治らないすべての人へ

このブログは、話し方でのトラブルや極度のあがり症、極度の緊張症を抱える人向けに作っています。

もっと広げれば、SAD・対人恐怖・視線恐怖症赤面恐怖症といった、神経症で苦しんでいる人向けです。
手の震え・足の震え・首の震え・顔のこわばりなど過緊張による症状全般と言いましょうか。

管理人カンダタのかつての神経症の症状

僕は、極度のあがり症・SAD・視線恐怖症・対人緊張・緊張性の震え・どもり(吃音)でした。
いま過去形で症状を書けることをうれしく思います。

悩んでいる最中なら、こんなブログを立ち上げることはしなかったです。
自分の悩みをみんなに同情してもらいたくないし(惨めになるだけ)、傷の舐めあいは大嫌いなので。
変にプライドがある人間でしたし、そのプライドがあがり症を極度のあがり症にまで悪化させてしまったのですが。

極度のあがり症体験記を書こうと思った理由

ジメジメとしたサイトよりも、からっとした希望がもてるサイトのほうがいいと思いませんか?
天国と地獄を味わった僕が、極度のあがり症が良くなった今、過去を振り返ろうと思って、サイトを立ち上げました。

僕の体験を通じて希望や出口が見えたら、僕も報われます!
極度のあがり症で悩んできた最悪の期間も無駄ではなかったと思えます。
みんなでがんばっていきましょう!!

 

最後に

極度のあがり症や緊張症は必ず治る!
治らない人も希望と誇りを失わないで下さいッ

 

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このブログはあがり症が治らない人のためのサイトです。治らない責任はあなたにありませんよ

極度のあがり症が治らない人へ治った男からのアドバイス

あがり症が治らない方へ それはあなたの責任ではないです!


あがり症(SAD、社会不安障害)が何をやっても治らない人はものすごく存在しています。
あがり症がなぜ治らないのか?
あがり症が発症する潜在意識の最深部に、僕らの努力が徒労に帰してしまうからなんです。

 

おそらく全人生に普通の人が投入するだけのエネルギーを使ってでも、あがり症と対峙して戦ってきたと思いますが、それでも潜在意識の最深部には、僕らの思いは届きませんッ。
あがり症って、強迫的になると思いませんか?
性格とか、あがってしまって恥をかいたとかそういうトラウマがあるといった問題ではないんですっ

 

脳と神経の暴走です。
それが強迫的に極度の緊張状態を作り、あがってしまったらなんにもできない脳にしてしまいます。
いくら頭が良くても、精神力があったとしても、脳が錯乱している状態で神経が異常に高ぶっていたなら、事前の準備なんて瞬殺されてしまうでしょう。

 

あがり症が治らないのは努力不足でも、あなたの能力不足でも、精神力不足でも決して、断じて断じてありません!

 

あがり症である自分に誇りと自信を失わないで下さい。
僕もあがり症が治らないまま、どれだけボロボロに傷ついてきたでしょうか・・・・。
そこはあがり症の体験談に書いていきたいと思います。

 

あがり症を克服できる唯一の道は、潜在意識の最深部のあがる原因を破壊するです。
僕はそれでやっと長年治らなかったあがり症に完全にけりを付けることができました。

これから僕のブログにあがり症やSADを中心に、僕の体験談を踏まえてどんどん書いていきたいと思います。
絶対に治しましょう。
共に治しましょう、力になりたいですっ

 

蜘蛛の糸をのぼれば』 ブログ管理人&筆者 カンダタ

 

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